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旅行

韓国の独立運動のシンボル的存在、西大門刑務所歴史館

2010-08-10

韓国の独立運動のシンボル的存在、西大門刑務所歴史館

8月15日、韓国の独立記念日といえる光復節を数日後に控えていつもより多くの訪問客でにぎわっている場所があります。ソウル市西大門区(ソデムング)峴底洞(ヒョンジョドン)にある西大門(ソデムン)刑務所歴史館。1908年に建てられたこの刑務所は、その後80年あまりにわたって日本による植民支配に立ち向かった人たちや独立後、民主化運動に参加した人たちが投獄された建物で、激動の波にさらされた韓国の近代史を象徴する場所となっています。

ソウル地下鉄3号線、独立門(トンニンムン)駅の5番出口を出て、植民支配からの独立を記念するために作られた公園、独立門公園を通って少し歩いていくと、レンガ作りの古い塀で囲まれた西大門刑務所歴史館が現れます。色あせて殺風景な雰囲気をかもし出す塀にそってさらに50メートルほどいくと、入口が見えてきます。

韓日強制併合を2年後に控えた1908年10月21日、独立を叫ぶ韓国の独立運動家を投獄するために日本が建てた「京城(キョンソン)監獄」。これが後の西大門刑務所でした。1,584平方メートルの規模の監房に収容できる人数は500人。当時、韓国には8つの監獄があって、これを全部合わせても収容人数は300人あまりにしかならず、それだけに「京城監獄」は規模が大きかったことが分かります。その後、「京城監獄」は「西大門監獄」、「西大門刑務所」に名を改め、大勢の独立運動家が投獄されました。韓国が独立した後も「ソウル刑務所」、「ソウル拘置所」として使われていたのですが、1987年、「ソウル拘置所」が他の地域に移されたことをきっかけに修復作業が進められ、1998年11月、「西大門刑務所歴史館」としてオープンしたのです。強制併合100周年を迎えた2010年、西大門刑務所を歴史教育の場として活用するための復元工事が進められています。

西大門刑務所の正門をとおると復元工事が進められている展示館があって、その横にかつての西大門刑務所の写真が展示されています。最初のコースは第12獄舎です。1987年、ソウル拘置所が他の地域に移された当時、ここには15棟の獄舎がありました。歴史的な価値が認められ、7棟が原形通りに保存されていて、そのうち3棟の獄舎と囚人の死刑が行われた死刑場は史跡第324号に指定されています。

第12獄舎の中に入ると、真昼なのに光が遮られ、中は暗く感じられます。囚人に関する記錄や食器、手錠などが展示されている狭い廊下を隔てて、向かい合うように並んでいる官房。第12獄舎では投獄された独立運動家が監獄の中でどのような生活を強いられていたかを知ることができます。囚人用の食器や面積3.3平方メートル足らずの独房も見たり、体験したりすることができ、当時の監獄の様子を垣間みることもできます。

第11獄舎には拷問の場面が蝋人形で生々しく再現されています。蝋人形とはいえ、その無惨な様子と解説者の説明に子供たちは目をそむけてしまいます。実際に拷問に使われた道具なども展示されています。このように韓国の独立を訴えた多くの独立運動家が西大門刑務所に投獄され、命を落としたのです。第11獄舎の裏庭にある追悼碑には彼らの名前が刻み込まれています。追悼碑から60メートルほど離れた所に死刑場があります。1923年に建てられた木造の建物で、多くの独立運動家の死刑が執行された場所です。死刑場、そして死刑を執行した後に死体を刑務所の外にある共同墓地に運び出すための抜け穴などが原形どおりに保存されていて粛然とした雰囲気が漂います。この他にも投獄された独立運動家の苦しさが伝わってくるさまざまな遺物や展示物を見ることができます。

韓国の独立運動と民主化運動を導いた人たちが苦しみ、命を落としていった西大門刑務所歴史館では平和と自由の意味を振り返る歴史の旅をすることができます。

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