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高宗と恥辱婢

2019-10-26

KBS WORLD Radio

ソウル蚕室のロッテワールドタワーを見上げる場所にある「三田渡碑」 

1636年の「丙子胡乱」で清に敗れ、清への絶対服従を誓った「三田渡の盟約」に関する

経緯が刻まれている 



「大清皇帝功徳碑」と刻まれた文字が見える。

第16代国王仁祖は清と和睦を結ぶにあたり、清の皇帝ホンタイジ(太宗)に「三跪九叩頭」の

礼を尽くし赦しを請うたという  

 

第26代国王高宗は碑文の内容があまりに屈辱的だとして1895年、

石碑を土に埋めるよう指示した

その後も廃棄と復元、流転を繰り返し、2010年にようやく現在の場所に設置された 

 

 

手前の「亀趺」(石碑を乗せる亀の台座)は、清の皇帝がもっと大きな石碑に作り変えるよう指示したため、最初の小さな碑の台座のみが残された。これも屈辱の跡である 

 

 

「南漢山城」の行宮(国王の臨時の避難所) 

第16代国王仁祖が「丙子胡乱」の際、1万2000の兵とともに逃げ込んだ場所 

仁祖はここで47日間籠城し、降伏した 

 

 

「南漢山城」の城壁 

標高400mから500mの稜線に沿って周囲7.7キロにわたって城壁が築かれている。

いまはトレッキング・コースになっている 

 

 

「南漢山城」の東門 

 南漢山城には東西南北4つの門があり、城壁と行宮は世界遺産に登録されている 

 

 

「南漢山城」の南門 

山の麓から徒歩で2時間ほどの距離にある 

いまは山頂まで道路ができ路線バスも走っている

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