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徐載弼と独立門

2019-12-20

KBS WORLD Radio

迎恩門 中国からの皇帝の勅使を出迎えるための門 

国王は自らここまで来て、三跪九叩頭の礼を以って皇帝の勅使を出迎えた 

いわば宗主国・中国への従属を象徴する場所でもあった。



1896年、迎恩門を壊した跡地に建てられた独立門 

中国からの独立だけでなく日本やロシアの影響からも離れて自主独立を誓うシンボルとなった 

建設資金は独立協会を中心に民間の寄付金でまかなった。



独立門のそばに立つ 徐載弼 (ソ・ジェピル)の像 

ソ・ジェピルは独立新聞を創刊し、独立協会を設立した啓蒙活動家



18歳で科挙に合格、翌年日本に留学。1885年帰国し、甲申事変に参加。 

甲申事変に失敗し、日本を経て米国に亡命。苦学して医学を学び、米国市民権を取得。 

1895年、10年ぶりに帰国が許され、中枢院の顧問となる。



徐載弼が創刊した独立新聞 

徐載弼はこの新聞を通じて西洋近代の政治思想や人権の問題、教育の重要性を訴え、 

政府の不正や官僚の腐敗を告発した。



独立新聞社の社屋は、かつてドイツ公使館や京畿裁判所として使われた敷地の中にあった。 

裁判所の建物は、戦後は大法院として使われ、現在はソウル市立美術館となっている。



独立新聞社の社屋があったことを示す石碑 

1896年4月7日創刊、1899年12月4日廃刊となったことを記している。



光化門前にある大韓民国歴史博物館。 

朝鮮王朝時代は議政府・六曹(中央官庁)があった場所だが、 

19世紀末には市民のための施設(Civic Centre)があった。



「独立協会創立総会の場所」と書かれた案内版が大韓民国歴史博物館の前庭にある 

1896年7月2日、ここで創立総会が開かれ、「万民共同会」を開催して政府批判を強めたことから、1898年12月、政府によって強制的に解散させられたという経緯が書かれている。



万民共同会の大衆討論風景(1898年) 

万民共同会は議会の創設と選挙の実施を訴えたほか、 

当時ロシアに傾倒した外交政策にも批判を向けた。

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