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歴史

李道榮

2012-11-15

李道榮
11月3日は今年で12回目を迎えた「マンガの日」でした。
韓国の最初の漫画は何かというと、それは新聞の挿絵の時事漫画でした。
1909年6月2日に創刊された大韓民報という新聞の創刊号に載せられた一こま漫画。
それは西洋の紳士服を着た男性が、大韓民報の4文字ではじまる四行詩を詠んでいる絵でした。
これは情勢を見極め、民族の精神を一つにまとめ、民衆の声に耳を傾け、ニュースを伝える新聞の役割を示したものでした。そしてこの絵を描いたのが貫斎・李道榮(イ・ドヨン)です。

1884年、代々政府の高官を輩出していた名門家に生まれた李道榮は18歳の時に、当時最高の画家だった安中植、 趙錫晋の門下に入り、伝統的な東洋画の画法を学びます。
特に安中植の画風を受け継ぎ、穏健で自由な筆力を発揮しますが、彼が伝統的な東洋画の画風とは違う 漫画の世界に入ったのは呉世昌の影響によるものでした。
3.1独立運動の33人の独立文宣言者の一人であり、書画の鑑識にも造詣の深かった呉世昌は1902年開化党の事件に巻き込まれ日本に亡命し、そこで独立運動に目を開きます。
日本に4年間滞在した後、1906年に帰国した呉世昌は「萬歳報」、そして1909年には大韓協会の新聞である「大韓民報」を創刊します。
その時に、普段から尊敬していた安中植の弟子である李道榮に画期的な時事漫画の執筆を依頼したのでした。
大韓民報の創刊から、1910年8月31日の廃刊まで、李道榮は木版画漫画を通じて抗日救国精神を鼓舞する作品を発表し続けます。
しかし1910年に韓日併合条約が締結された後は彼は再び水墨画の世界に戻り、恩師の安中植らが中心となって作った書画美術界講習所で絵画専攻の学生たちの指導をしました。
また1918年には西洋画の高羲東らと共に書画協会を組織し発起人の一人として幅広い活動を続けます。
作品活動としては1921年に書画協会展覧会を開催、出品すると共に書画協会会報に「東洋画の淵源」「東洋画の講究」というタイトルの記事も連載しました。
しかし1933年に50歳で他界します。

韓国最初の漫画家、李道榮の生涯はこのように終わりましたが、韓国の漫画界はその後、本格的な発展を続けます。
1920年に朝鮮日報、東亜日報が創刊され、これらの新聞に時事漫画が連載される一方、風刺漫画も登場してきます。
1924年にやはり東洋画家の心汕・盧壽鉉が連載を始めた4こま漫画は大きな人気を呼び、漫画としては初めて映画にも脚色されます。
独立後には、それまでの4こま、時事漫画だけではなく短編、長編漫画の時代を迎えます。
1960年代以後には人気漫画家も続々と登場し、最近のインターネットを通じたオンライン漫画まで多様な分野の漫画が現れ、現在まで人気を集めています。

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