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歴史

皮千得

2012-12-13

皮千得
皮千得(ピ・チョンドゥク)は韓国を代表する随筆家です。
1910年5月29日、ソウルに生まれた皮千得は7歳で父を、10歳で母を亡くし、親戚の家を点々としながら成長します。
不遇な環境の中でも彼は純粋さ、謙虚さ、人生に対する達観などを身につけた人物でした。
中国上海の共同租界の中学を経て1937年上海の 滬江大学英文科に入学します。
その後、1945年の独立まで京城中央産業学院で教師として勤務し文壇へのデビューは1930年に文芸誌『新東亜』に「抒情小曲」を発表してのことでした。
彼が文壇にデビューした1930年代の初めは日本の植民地時代でしたが、彼は叙情的、純粋な文学を目指しました。
独立後は1946年からソウル大学で英詩の講義を始め、1954年にアメリカ国務省の招請でハーバード大学で1年間英文学を研究、1966年にソウル大学大学院の学生課長を歴任するなど1974年までソウル大学英文科の教授として在職していました。
学界の巨木であり、ソウル大学の英文学科の教授として活躍しましたが、韓国人の脳裏には彼は随筆家として記憶されています。

私の生活を構成するすべての小さく美しいものたちを愛する
綺麗な顔を欲望なしに眺め
他人の功績をやっかみ無しに賞賛することが好きだ。
たくさんの人を好きになり、誰も憎まずに
いく人かの人をひどく愛して生きていきたい。
そして私は立派に年老いていきたい。
随筆「私の愛する生活」から

会いたいと思っても、一度も会えないこともあり
生涯忘れられなくても会えずに生きていくこともある
朝子と僕は三度会った。三度目は会わなければよかった。
              随筆「縁」から 
日本の植民地時代と韓国戦争という時代を超え、日本人の女性朝子との美しくも哀しい縁を淡々とした文体で描いた随筆「縁」など、彼の随筆は日々の生活に疲れた人々の心を優しく包み慰めてくれます。

20世紀韓国文学の生き証人、韓国随筆文学の先駆者など、華麗な修飾語で呼ばれましたが、皮千得の人生は彼の随筆のように素朴で淡々としていました。
ソウル大学の教授職も定年退職までいることもできましたが、自由に暮らしたいと、定年前に辞しています。
また70歳を過ぎてからは文章に欲が出てしまうといってペンを置いてしまいました。
ソウルの小さなアパートに25年間暮らした皮千得は2007年5月25日に96歳で亡くなりました。

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