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105歳の老哲学者、キム・ヒョンソク教授

#韓国WHO‘SWHO l 2025-01-06

玄海灘に立つ虹

105歳の老哲学者、キム・ヒョンソク教授
韓国フーズフーは、今、ニュースやインターネットで話題になっている人物、前からよく名前は聞いているけれども一体何をしている人物なのかよく分からないという人をマルコメの視線から3つのキーワードでご紹介していくコーナーです。

今日ご紹介するのは105歳の老哲学者、キム・ヒョンソク(金亨錫)延世大学名誉教授です。

1.キム名誉教授はどんな人?
1920年に今は北韓の平安北道で生まれたキム・ヒョンソク教授は、105歳になろうとしている今も一年に200回以上の講演とインタビュー、新聞コラムを連載中の永遠の現役哲学者です。
その紹介文には大韓民国最高齢のエッセイストであり、哲学者、延世大学の名誉教授とあります。

また学問的な業績の他に、多くのベストセラーを世に送り出したエッセイストとしても有名です。本格的にベストセラー作家となったのは1960年に出版された随筆集「孤独という病」からでした。いくつかの雑誌に発表した内容をまとめたものですが、有名な雑誌社だった三中堂から出版され、当時としては異例の2万部が売れたといいます。
続いて1961年にハーバード大学に研究教授としていく前に出したのが随筆集「永遠と愛の対話」でした。この本も刊行から1年で8万部、現在までに累積60万部という空前のヒット作、スタデイ―セラーとなっています。
そのためハーバード大学での研究を終えて帰国後は、大学教授であると同時にベストセラー作家として出版界からラブコールを受けて、以後30年以上、本を出し続けてきました。

キム名誉教授のエッセイはキリスト教的な実存主義を背景にして、人間の条件を追求しており、その優しく詩的な文章が読者に感銘を与え、長い間愛されてきました。

2.その人生は?
1920年に今は北韓の平安北道に6人兄弟の長男として生まれ、その後、一家は平安南道に移り、そこで大きくなります。

父は金鉱で働いていましたが、アメリカ人宣教師を通じてキリスト教に接し、そのためキム教授も幼いころから教会に通っていました。

 小学校を卒業後は平壌のミッションスクール、スンシル中学校に進学しました。この中学時代には当時、満州から転校してきた、後の詩人 ユン・ドンジュ(尹東柱)と机を並べて勉強したこともありました。

またこの頃 同じキリスト教徒で、後の独立運動家トサン(島山)アン・チャンホ(安昌浩)の講義を聞いたこともあったと言います。

出てくる名前がほとんど偉人伝に出てくる人物で、キム教授の年齢が105歳だというのが実感されます。

このスンシル中学は日本による神社参拝の強要に反発し、学校自体が強制廃校となってしまいます。その際に、ユン・ドンジュは満州に帰り、キム教授は1年後に平壌の第3公立中学に編入復学して、中学を卒業します。そしてその後、日本の上智大学哲学科に進学し1944年に卒業します。

上智大学卒業後には故郷に帰り、人民委員会の委員を歴任したりしました。その際には小学校の先輩であるキム・イルソン(金日成)、後の総書記と会ったといいます。二人の出た小学校というのはチャンドク学校という名前でキリスト教系の学校でしたが、この学校はキム・イルソンの外祖父であるカン・ドンウク牧師が学校の設立メンバーでもあり、校長も務めました。キム教授は牧師たちが主催したキム・イルソンの帰国を祝う席で彼と会ったと言います。

しかしその後、人民委員会の活動に失望したキム教授は委員を辞めて故郷に戻り、中学を設立して農村教育に努めます。
しかし反共産党思想のキリスト教徒の知識人ということで、当局から監視と弾圧を受け、妻と息子を連れて1947年8月20日に韓国に逃げてきます。
 その後はソウルで中央高校の教師として働き、韓国戦争を経た1954年に延世大学の初代総長の勧めで延世大学で教え始め、以後、1985年に定年退職するまで哲学科の教授として多くの学生たちを世に送り出してきました。

定年退職後もその活動は止まりません。
現在まで東亜日報にコラムを定期的に掲載しており、外出する際も一人で地下鉄やバスなどの公共交通を利用しているといいます。
2021年1月にKBSの朝の情報番組に生放送で出演した際にも、車いすはもちろん杖も使わずに元気に登場し、笑いながら出演者たちと談笑を交わす姿が印象的でした。

3.月刊朝鮮との新年インタビューから
最後に「月刊朝鮮新年号」に掲載された新年インタビューの内容から一部をご紹介します。
新年を迎えての願いとか、夢、目標などおありですか?

若い時はまだまだ先が長いので計画を立てれば5年、10年を考えていましたが、もう年を取りすぎたので1年、1年の計画をたてます。1年が昔の10年のように感じられます。
これまでしてきた仕事をその水準を落とさずに、また1年できれば嬉しいです。講演も、放送も、文章を書く事も、過去にしていたのと同じことをするのでも少しでも質的に落ちたりせずにまた1年を過ごしたいです。

2024年にも何冊か本を出されましたよね

はい。不思議なことに90を過ぎてからほとんど毎年1冊ずつ本をだしています。その中の一部は昔出したものを新たに整理したもので、また新たに書いたものもあります。どちらにしても毎年1冊は出しているので、新年にも1冊は出るのではないでしょうか。

これまで、人生で経験した苦痛の瞬間をどのように克服されてきましたか?

90歳を過ぎてある地方大学から賞をもらうことになりました。
賞をもらっての感想で私は「賞をくれるというのでいただきますが、いくら考えても賞をもらうような資格があるとは思えません。私よりも素晴らしい人はたくさんいます……私はただ社会が求めたお手伝いをしただけです。
日本の植民地時代に生まれ、戦争を経験し、民主化闘争の時には学生たちを心配し、とにかく苦労は誰よりもしてきたので、「長い間生きてきて苦労が多かったで賞」ならいただくと話しました。
万一この苦労が自分のためにした苦労だったのならたぶん賞はくれなかったでしょう。あの苦労は時には家族のため、時には弟子たちのため、時には世の中の苦悩する人々のためでした。自分のための苦労ではなく、愛する誰かのための苦労だったので幸せでした。

苦労をした人生が、自分のための苦労ではなく愛する誰かのための苦労だったので幸せだったと語る105歳の老哲学者。ただただ尊敬します。

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