〇本日ご紹介する本はク・ビョンモの小説『破果(파과)』です。韓国では2013年に出た本で、日本でも翻訳版が出ています。日本だけでなく世界13カ国で翻訳出版されていて、ミュージカルにもなっているんですが、今回映画化されて、2月のベルリン国際映画祭で上映されたので一気に注目を集めました。映画はミン・ギュドン監督、イ・ヘヨン主演。思わず「おお…」と声が出るような、かなりインパクトのあるポスターで、韓国では5月公開予定だそうです。
イ・ヘヨン主演ということでちょっと想像がつくかもしれないですが、主人公は65歳、初老の女性。それだけでも珍しいんですが、しかも職業が殺し屋ということで、どんな小説なのか、気になりますよね。最近は読んで癒されるヒーリング小説が多い気がしますが、この小説は韓国映画に多いノワールの世界で、独特の存在感を放っています。1月は癒し系、2月は哲学書をご紹介しましたので、今回はちょっと趣向を変えてみました。
ⓒ Getty Images Bank〇主人公はチョガク。漢字で爪角と書くんですが、もちろん本名ではなくニックネームです。チョガクは殺し屋になって45年のベテランで、小説の冒頭からチョガクが仕事をする様子、つまり人を殺すシーンが出てくるんですが、地下鉄から降りる男性にチョガクが近づいて、男性がホームに倒れ込むという、え? 殺したの? というぐらいさっと描かれていて、プロの技を見せつけられます。殺し屋の仕事はこの小説の中では「防疫」と呼ばれていて、コロナ禍で「防疫」という言葉をよく使ったなと思い出しましたが、何か清掃業のような一つの職業のように描かれていました。
〇チョガクは腕利きの殺し屋だったんですが、年齢には勝てず、致命的なミスを犯してしまいます。致命的なミスというのは、仕事で大けがを負って処置を受けるためにかかりつけの医師を訪ねたつもりが、初対面の医師で、そのまま気を失ってしまったんですね。所持品の中に刃物があって、けがの状態からしても、明らかに犯罪に関わる人物とばれたはずなのですが、この医師はどうも本当にいい人のようで、チョガクは口止めをしてそのまま病院を出ます。
〇チョガクは最初は血も涙もない冷たいイメージで出てきますが、だんだん人間的な面が見えてきて、例えばこの治療してくれた医師の両親が営む果物屋さんを訪れ、この医師の幼い娘にも出会うんですが、子どもに対する視線は優しいんですね。言動では見せないけども本能的にとても愛しい存在と感じているのが伝わってきます。果物屋で桃を買って、気分が良かったのか、道端のホームレスのように見えるおじいさんに桃を差し出すほど、かなり‘いい人’です。殺し屋にならなかったら、この人の人生はどんなだったんだろうという気がしました。
〇チョガクの子どもへの優しさは他でも見られて、それは昔、チョガクが家政婦として入り込んだ家の主人を殺すということがあったのですが、そもそも殺人が目的なら、その家の子どもに優しく接する必要はないはずなんですが、なぜか優しかったんですね。その子どもが大きくなってチョガクの同業者、殺し屋となって、初老のチョガクと会うという展開になっていくのですが、殺し屋と人間味という相容れないような二つがチョガクにはあって、それがこの小説の醍醐味かなと思います。
チョガクの優しさは飼い犬のムヨンに対しても表れています。捨て犬だった老犬を拾ってきて、ムヨンと名付けるんですが、ムヨンは漢字で無用です。チョガクは人間に対しては警戒心を持って接するんですが、犬のムヨンだけが心を許す存在のようです。自分がいつ死ぬか分からないので、その時ムヨンが家から出られるように少し窓を開けておくという、さりげない優しさを見せます。
〇タイトルの破果はいろんな意味を含んでいると思いますが、食べごろを過ぎてしまった桃が出てきて、それがチョガクに重なるようでした。人生の旬を過ぎてエンドロールへ向かうチョガク。殺し屋という職業は身近なものではないですが、誰もが経験する「老い」を描いているという意味では、できていたことができなくなっていくことへの焦りや諦めなど、一人の女性の生きざまとして迫ってくる部分もありました。フェミニズム小説の分類に入ることもあるのも、そういうことかなと思います。映画もおそらく日本でも公開されるとは思いますが、その前に原作小説『破果』もぜひ読んでみてください。