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文化

国を守るために命を捧げた人たちが眠る国立墓地、国立ソウル顕忠院

2013-06-25



ソウル銅雀区(トンジャック)舎堂洞(サダンドン)にある国立墓地、国立ソウル顕忠院(ヒョンチュンウォン)には戦没者をはじめ、独立運動家、国家功労者など国のために命を捧げた人たちが眠っています。その一番高いところには顕忠(ヒョンチュン)塔があって、静かに黙祷をささげる参拝客の姿を見ることができます。顕忠塔は顕忠院のシンボルともいえる塔で、塔の中には韓国戦争で戦死した軍人のうち、最期まで遺骨が見つからなかった10万4千人あまりの位牌が祀られています。また、塔の地下にある無名勇士奉安室には身元が分からない戦没者6900人あまりが眠っています。韓国人にとって国立ソウル顕忠院は大きな意味のある場所で、新しい大統領が就任した時も、最初の公式行事は顕忠院を参拝することから始まります。

国立ソウル顕忠院が作られたのは1955年。1948年、大韓民国政府が樹立し、韓国軍が創設されてから、南北韓国が対立する中で、戦死したり殉職したりする軍人が多くなったためでした。



国立ソウル顕忠院の敷地はおよそ143万平方メートル。そのうち、4分の1が墓地で、国家元首、愛国者、臨時政府の要人、国家功労者、将兵、警察官、外国人など7つの墓域が設けられています。顕忠塔の中にある位牌奉安館や、独立運動に参加し、殉国したけれど遺骨も遺族も見つからなかった133人の位牌が祀られた祭壇などを含め、国立ソウル顕忠院には17万2千人あまりが眠っています。

国立ソウル顕忠院の国家元首墓域には3人の大統領の墓地があります。韓国初代大統領である李承晩(イ・スンマン)大統領夫妻、朴槿恵(パク・クネ)現大統領の両親である朴正煕(パク・ジョンヒ)大統領夫妻、そして金大中(キム・デジュン)大統領の墓地があって、時代とともに形や規模が変化してきた大統領の墓地を見ることができます。



最近になって韓国戦争で戦死した犠牲者の遺骨が顕忠院に安置されるケースもあります。韓国戦争勃発50周年にあたる2000年からスタートした遺骨発掘鑑識団の活動によって見つかった戦没者の遺骨を安置しているのです。韓国戦争の戦没者はざっと16万2千人あまり。そのうち、顕忠院に安置されているのは2万9千400人あまりで、13万人あまりの遺骨は戦場に取り残されたままでした。2000年から13年にわたって続いている遺骨発掘作業によって8千3百あまりの遺骨が見つかっており、そのうち、7千3百人あまりが軍人とされています。

国立ソウル顕忠院では戦争の悲惨な歴史を知ってもらおうとより多くの参拝客が訪れるためのさまざまなイベントも繰り広げています。毎週土曜日の午後3時に開かれる国防部の軍楽隊による伝統武術や太鼓の公演などもその一つです。平日、ソウル顕忠院の正門で行われる勤務交代式も人気があります。イギリスのバッキンガム宮殿の近衛兵の交代式のような厳かな雰囲気の行事で、2008年からスタートしました。



国立ソウル顕忠院の門をくぐると、1370枚の韓国の国旗、太極旗(テグクキ)がかけられた6本の木が目に入ります。一番大きな木の高さは3.1メートル、1919年3月1日、国の独立を願って繰り広げられた3.1万歳運動を象徴し、1370枚の太極旗は韓国戦争で戦死した13万7千人の軍人を意味しています。

韓国戦争勃発63周年を迎えた今日も、そしてこれからも国立ソウル顕忠院は戦争、平和、尊い犠牲について見つめなおす、特別な空間として記憶されることでしょう。

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