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歴史

石宙明

2013-03-14

石宙明
世界的な蝶学者、そして韓国のファーブルと呼ばれているのが今日ご紹介する昆虫学者、ソク・チュミョン(石宙明)です。

1908年11月13日、平壌に生まれた石宙明は幼い頃、当事は黄牛1頭よりも高価だったタイプライターを母からプレゼントされるほどに裕福な家庭に育ちました。彼は松都高等学校在学中に、有名な鳥類学者の元洪九と出会います。元洪九は松都高等学校で博物学を教えていました。彼の影響で自然に関心を持つようになった石宙明は1926年、日本の鹿児島高等農林学校に唯一の韓国人学生として入学します。そして日本昆虫学会の会長を務めた岡島銀次教授の教えを受け昆虫の研究に興味を持ちます。1929年に鹿児島高等農林学校を卒業すると、翌年からは母校の松都高等普通学校に生物の教師として赴任し、生徒たちを教えながら蝶の研究を始めます。

石宙明はもともと生物学に関係した仕事がしたかったのですが、視力に問題があり昆虫学を自分の学問とします。そして昆虫学の最初の段階として蝶の採集を始めました。幸い、勤務先の松都高等普通学校は階段式の講義室と実験室の設備を備えた施設がありました。特に地下1階、地上2階だての博物館は朝鮮第一の標本室と実験室・研究室・貯蔵室まで備わっていました。この学校に11年間勤務し、蝶の研究に没頭した石宙明は75万匹の蝶を採集しました。
また夏休みには全国各地から集まった生徒たちが全国各地の蝶の標本を持ってやってきました。彼が蝶の研究を始めた1930年代の初めには、すでに韓国産の蝶に対する外国人の研究が50年近く蓄積されていました。当事の蝶の研究者たちは何匹かを採集し、少しでも違った形態がみつかるとすぐに「新品種」だと発表し、自分の名前を付けていきました。しかし石宙明は韓国の蝶に対する外国人研究者たちの研究の中には間違ったものも多いと考え、彼らよりも遥かに多くの蝶を採集して既存の登録されたものの中から間違った学名のものは修正、除去していったのです。そしてこのような努力により石宙明は1940年「朝鮮産蝶総目録」を発表しました.この中で彼は日本の学者が844種だと分類した韓国の蝶の種類を248種類に再分類しました。
そして数多くの蝶を発見し名前を付けていった石宙明は韓国戦争が勃発しても、ソウル国立科学館に集められた75万匹の蝶の標本を守るために避難せずにいました。そして1950年10月6日、戦乱の最中に亡くなったのです。

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