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ピープル

女性指揮者、ソン・シヨン

2016-03-29

3月23日、ソウルの近郊、京畿道(キョンギド)にある「文化の殿堂」で、京畿フィルハーモニーオーケストラの定期演奏会「マスター」シリーズが行われました。京畿フィルハーモニーの定期演奏会「マスター」シリーズは、韓国のクラシック界にこれまでなかったレパートリーと大胆な企画で音楽ファンの注目を集めています。こうした企画の中心には京畿フィルハーモニーを率いる団長兼指揮者のソン・シヨンさんがいます。



2007年、137年の伝統を誇るアメリカのボストン交響楽団で女性としては初めて副指揮者を勤めたソン・シヨンさん。2年後の2009年、ソウル市立交響楽団でも初の女性副指揮者になりました。そして、2014年、京畿フィルハーモニーオーケストラの芸術監督兼常任指揮者に任命されたソン・シヨンさん、韓国の国公立オーケストラ史上、初めての女性指揮者誕生でした。「男性の世界」というイメージが強い指揮者の世界。ソン・シヨンさんはどのようにしてタクトを振ることになったのでしょうか。

1976年、韓国の南部、釜山(プサン)で生まれたソン・シヨンさん。子どもの頃のソン・シヨンさんはとても活発で、外で遊ぶのが大好きでした。ある日、偶然、ピアノの演奏を聴いたソン・シヨンは、家に帰った途端、ピアノが習いたいと言い出します。ピアノ教室に通い始めたソン・シヨンさんの腕前はぐんぐんと上達していきました。1994年、ソウル芸術高校を卒業したソン・シヨンさんは、芸術高校でマスタークラスを担当していたチューリッヒ音楽大学の教授に勧められ、スイスのチューリッヒ音楽大学のピアノ科に入学します。しかし、小学生の時から彼女が目指していたのはドイツのベルリン国立音楽大学でした。スイスへの留学を後悔していた頃、腕に怪我をした彼女は、思い切ってベルリン国立音楽大学に移ります。



ソン・シヨンさんはスケールの大きい演奏が好きでした。しかし、小柄なソン・シヨンさんは手も小さい方でした。小さな手でムリをして演奏を続けたため、彼女の指は思うように動かなくなってしまったのです。それでもピアノをあきらめなかったソン・シヨンさんに、担当教授はピアノだけではなく、他のジャンルにも接してみてはどうだろうと提案しました。音楽を総括的に接することができるジャンルは指揮、オーケストラ曲でした。近くにあったベルリンフィルの演奏を聞きに行ったり、学校の図書館でタクトを振る指揮者のビデオを見たりしていたソン・シヨンさんは、ドイツの名指揮者、フルトヴェングラーの指揮を見ながら、私も多くの人の才能と情熱を引き出せる指揮者になりたいと思いました。



ベルリンのハンス・ハイスラー音楽大学の指揮科に入ったソン・シヨンさん。指揮を専攻するようになってから1日3時間以上寝たことがなかったという彼女の努力は実り、2004年からさまざまなコンクールで優賞し、指揮者としての実力を認められるようになりました。中でも、2006年に參加したゲオルク・ショルティ国際指揮者コンクールでの受賞は新たな道を切り開くきっかけになりました。



2007年、長い伝統を誇るボストン交響楽団のオーディションを受けたソン・シヨンさんは、思いがけなく合格通知を受け取ります。長い伝統を誇るボストン交響楽団で、女性としては初めて副指揮者になったのです。後に、ソウル市立交響楽団の副指揮者も兼任することになった彼女は、2014年、京畿(キョンギ)フィルハーモニーオーケストラの指揮を任されました。そして、半年以上、指揮者が空席の状態だった京畿フィルハーモニーを見事に復活させたのです。

ソン・シヨンさんは韓国にあまり知られていない曲を発掘し、2時間以上かかるメンデルスゾーンの「エリヤ」全曲を演奏するなど、斬新な試みを続けています。そんな彼女に、京畿フィルハーモニーオーケストラは大きな信頼を寄せ、さらに2年間契約を延長することにしました。そして、指揮者とオーケストラが心を一つにし、同じ目標を持てばどんな難関も乗り越えられると信じるソン・シヨンさんは、今日も、団員の才能と情熱を引き出すために努力しています。

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