第1話 仏国寺と石窟庵

韓国で初めての世界遺産です。
慶尚北道慶州市の吐含山にある「仏国寺」と「石窟庵」がつくられた由来については、こんな物語が伝わっています。

「お母さん、お母さん」
「大城、どうしたの?」
「お坊様のお経を聞いたんだけど、仏様にお布施をすれば、たくさんの福に授かれるそうなんだ。」
「ええ。でも、うちには先立つものがないでしょう。」
「田んぼがあるよ。小さな田んぼだけど、心がこもっていれば、ご利益があるんじゃないかな。」

統一新羅時代の初期、692年に即位した孝昭王の時代、牟梁里で貧しい暮らしをしていた大城は、お駄賃代わりにもらった小さな小さな田んぼをお寺に献上しました。
ところがそれからまもなく、大城は突然、息を引き取ってしまいます。

そうして10か月が過ぎ、 金文亮宰相の家に男の子が生まれたのですが…

「生まれて1週間も経つのに、左手を握ったままで、心配だな。」
「もう大丈夫ですわ。今日ちゃんと手を開きました。
  でも... 手のひらに文字が書かれていて…」

「文字? もしかしたら『大城』と書いてあるのではないのかい。」
「あなた、どうしてそれを?」
「実は10か月前に、『牟梁里に住む大城の生まれ変わりがお前の家に生まれるだろう』という天の声を聞いたんだ。
  これにはきっと何か理由があるに違いない。
  この子を大城と名づけ、大城の前世のお母様に一緒に住んでもらおう。」

こうして3人を親として育った金大城は、成人して宰相となり、751年、現世の親である金文亮夫婦のために「仏国寺」を、前世の母親のために「石窟庵」の建設を始めます
それが統一新羅時代、景德王10年のことで、惠恭王10年にあたる774年に「仏国寺」と「石窟庵」が完成しました。
このふたつの建築物には、新羅の人たちの願いが込められています。

韓半島の覇権を巡って、高句麗、百済と激しい戦いを繰り広げてきた新羅は、668年、三国の統一に成功し、平和な仏国、
つまり仏の国をつくるために力を尽くします。
地上から仏国土、つまり浄土への橋に当たる33の階段である「靑雲橋」と「白雲橋」、宝如来と釈迦如来が並び、
仏教の教えを象徴する多宝塔と釈迦塔。
ひとつの寺院にこんなに多くの仏様がいるのは、戦争の痛みをいやし、ユートピアをつくろうとした新羅の人たちの思いの表れだといえるでしょう。

「仏国寺」が仏の国を実際の地に具現したものだとすれば、
「石窟庵」は、人間シッダールタが悟りを開いて仏陀(釈尊)となり、
入寂、つまり涅槃に入る瞬間を描いたものです。
「石窟庵」は日の出がよく見える、吐含山の東、海抜565mの高さに作られています。
そして中央に本尊の釈迦如来座像が安置されています。
高さ3.5mの本尊は、目を閉じ穏やかな微笑をたたえています。
それらの壁には仏法を守護する金剛力士や如来・菩薩の四方を守護する四天王、
仏法を広める菩薩や十大弟子など、合わせて39の仏像が彫られています。

堅い花崗岩にのみで彫刻を刻み込み、360枚あまりの板石を、
現代科学顔負けの方法でつなぎ合わせて、ドーム型の天井がつくられました。
こうしたことから、「石窟庵」は、金大城という個人の能力を超えた、
新羅の宗教、芸術、建築、科学が調和をなす傑作だと評価されています。

仏教の教えを建築物で以て完璧に表現した「仏国寺」。
世界でも類をみないほどの科学的かつ芸術的な寺院、「石窟庵」。
三国を統一した新羅の文化と科学の力、宗教的熱意の結晶といえる「仏国寺」と「石窟庵」は、
1200年前の新羅の人たちが夢見た平和の地なのです。

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