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文化

20年あまりのロングランを記録している風刺演劇「老いた泥棒の話」

2013-02-12



ソウルの大学路(テハンノ)の小劇場で公演されている演劇「老いた泥棒の話」は、長い刑期を終えて社会に復帰した二人の泥棒の姿を描いています。出所したとはいうものの、刑務所で年を取った「老いた泥棒たち」が仕事に就けるわけもなく、生きていくために「最後の一仕事」を決心します。

特別な舞台装置もなく、出演者はたったの3人。しかし、1989年の初演以来、20年あまりが経った今も、「老いた泥棒の話」の公演はいつも満席です。「老いた泥棒の話」がスタートした当時の韓国は政治的にも社会的にも、今に比べて抑圧されていた時代でした。その頃は演劇舞台以外では時事風刺、政治風刺などを見ることができず、現実の世界ではできないお偉方の悪口や社会風刺を笑いに溶け込ませることで、観客は妙なカタルシスを感じたのです。「最後の一仕事」を決心したものの、数十年におよぶ刑務所の生活で考えもカラダも老いてしまった二人の泥棒。しかし、彼らの言葉には的を射た鋭さがあって、観客は自分の口では言えないことを代わりに言ってくれたような満足感を感じることができるのです。

沈んだ経済、思い通りに行かない政治問題、広がるばかりの格差社会、こうした庶民の悩みの捌け口となっているのが政治や社会した演劇なのかも知れません。そのためか、20年あまりのロングランを記録している「老いた泥棒の話」の人気は衰えることがありません。



二人が豪邸だと思って盗みに入った建物は美術館。お目当ての金庫は見つからず、老いた泥棒たちはお酒を飲みながら、自分の人生を振り返ります。誰からも誉められたことがないとぼやく先輩の泥棒に後輩の泥棒は美術館に展示されていた勳章を送ります。プッと吹き出してしまう場面ですが、その一方、過ちを犯したものの、社会から過ちを正すチャンスを与えられず、家族からも見捨てられ、一度も誉められたことがないという彼らの言葉に妙な苦々しさが感じられます。

二人の泥棒のせりふには何気なく政治家の名前や時事的な内容が登場します。こうした話題は時代によって変化してきました。登場する人物や事件は変わっても、一つの共通点はあります。国民の審判を受けるべきだと思われる問題に触れていることです。政治的な話に直接触れるのではなく、セリフに登場するたとえや何気ない言葉の中に辛辣な風刺が溶け込んでいるんです。このように、「老いた泥棒の話」は時代に合わせて、絶えず風刺や笑いのポイントに変化を与えてきました。この作品がロングランを記録しているのは充実したストーリーの中にスパイスのように風刺が溶け込んでいるからなのです。



金庫を開けられないまま、老いた泥棒たちは逮捕され、警察に問い詰められる場面で幕が下ります。その後、老いた泥棒たちがどうなったのかは分かりませんが、演劇は笑いと風刺の中に、悔しくても大きな勢力に太刀打ちできない庶民の姿、また、彼らを取り巻く社会や家族のあるべき姿について問いかけているのです。
 
「老いた泥棒の話」はコメディですが、悲劇を見たような余韻を残す作品です。政治も経済も一昔前に比べればずっとよくなったとはいえ、根本的に変わらない部分があるから、「老いた泥棒の話」のような風刺演劇がロングランしているという人もいますん。この作品で話すことがなくなった時、その時こそ誰もが幸せな世界になったという意味ではないでしょうか。

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