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文化

32年にわたって公演されているモノドラマ「プムバ」

2013-08-06



日本でいう門付けのことを韓国ではカクソリと呼びます。カクソリは門付けと同じく、家の門の前で歌や芸などを披露し、米などをもらって生きていた芸人です。演劇「プムバ」は、このカクソリを主人公にした公演です。「プムバ」は、門付け歌にあたる伝統民謡のカクソリ・タリョンと野外で歌や舞い、演劇などを披露したマダン劇を一つにしたような芝居で、1981年の初演以来、32年間にわたるロングランを記録しています。

「プムバ」が初演された1981年、当時の韓国社会は暗く、憂欝な世相でした。1980年の光州(クァンジュ)民主化運動で大勢の人が命を落とし、社会的にも政治的にも抑圧された時期でした。「プムバ」の作家は演劇を通じて暗く鬱陶しい社会を慰めようとしました。「プムバ」に登場するカクソリは社会的に疎外され、最も弱い立場から正義を訴え、傷付いた心をいやしてくれるオアシスのような存在だったのです。

「プムバ」に関する最初の記録は朝鮮時代後期に活動したパンソリ研究者、申在孝(シン・ジェヒョ)が作ったパンソリの中に登場する「カルジギ・タリョン」に残っています。もともと「プムバ」は、歌のリズムを合わせ、興を沿えるための歌や音を意味していました。そんな「プムバ」の意味が時代とともに変わり、市場や町中で物乞いをする人を意味するようになりました。演劇「プムバ」は最も低い身分とされた物乞いの声を通じて社会の不条理を訴えているのです。

演劇「プムバ」はモノドラマ、一人の俳優による芝居です。舞台に登場するのは1人で
主人公、日本の巡査とその部下、父親、召使いなど15人の役を演じる俳優と、調子を合わせるために太鼓を叩く鼓手だけです。「プムバ」の主人公は物乞い、プムバの「チョン・ジャングン」です。「チョン・ジャングン」は日本による植民地時代を生きた実在の人物で、「チョン・ジャングン」ゆかりの地、韓国の南部、全羅南道(チョルラナムド)務安郡(ムアングン)の一老邑(イルロウプ)に行くと、「プムバ発祥の地」と刻まれた石碑を見ることができます。「チョン・ジャングン」は日本による植民地時代、木浦(モクポ)の港で働く埠頭勞動者でした。埠頭で働きながら、韓国人も食べられない大量の米が日本に渡っていくのを目にした彼は、埠頭の労働者たちとともに、ストライキを起こします。日本の警察によって指名手配された「チョン・ジャングン」は全羅南道(チョルラナムド)務安郡(ムアングン)の一老邑(イルロウプ)に身を隠し、物乞いのふりをしながら生き延びました。その後、韓国戦争が起こり、北韓軍を支持しなかったという理由で妻を亡くします。その後、「チョン・ジャングン」は100人あまりの物乞いを集め、自分たちだけの規律を作り、人に被害を与えたり、迷惑をかけたりする者に罰を下すなどの活動を繰り広げ、庶民の間では「正義の味方」と見なされました。物乞いをしながらも、いつも愉快で堂々とした態度を守っていたという「チョン・ジャングン」の姿に観客は慰められ、元気づけられます。

公演の最後に「飢えている人、かわいそうな人、力のない人が物乞いではない。世の中を見ろ。この世には飢えてもいないのに金や権力を乞うために頭を下げる物乞いたちであふれている。そんな人たちを悟らせるためにホンモノの物乞い、カクソリが死にもせずにまた来たぞ」というセリフがあります。これが「プムバ」が伝えたかった本当のメッセージではないでしょうか。

庶民の哀歓を率直に描き、未来に向けた希望とは何かを考えさせること、これが32年にわたってロングランを続ける「プムバ」の力なのです。

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