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文化

港湾都市、仁川にオープンした韓国近代文学館

2013-10-15



ソウルから車で1時間ほどの所にある港湾都市、仁川(インチョン)は、内陸にあるソウルの外港として発展してきました。1883年、今は仁川港と呼ばれる済物浦(チェムルポ)港が開かれると、さまざまな西洋の文物が入ってきました。1930年代、波のように押し寄せる貨物を保管するため、仁川港の周りにはたくさんの倉庫が作られました。仁川市中区(チュング)の海岸洞(ヘアンドン)には、赤レンガ造りの倉庫4棟が今も残っています。かつて、倉庫として使われていたこの古い建物がリモデリングされ、9月27日、韓国近代文学館として生まれ変わりました。

韓国にある文学館はほとんどが一人の作家をテーマにした個人文学館です。一方、韓国近代文学館は1890年代、つまり近代文学初期の作品から韓国が南北に分断するまでの時期に書かれたさまざまな作品を集め、韓国の近代文学の歴史を垣間見ることができます。また、教科書などで読んだ作品の原本が展示されています。いろいろな展示や体験を通じて韓国文化の根幹ともいえる韓国文学の流れに触れることができます。



韓国近代文学館に所蔵された作品の数は、初版本や希少本だけでも2万9千冊あまり、韓国最大の規模を誇ります。ところで、この文学館を仁川港の近くに開館したのには特別なわけがあるのだそうです。韓国近代文学館は仁川が開港した済物浦(チェムル)港に面しています。また、ここは「血の涙」や「人間問題」など、さまざまな近代小説の背景にもなった場所なのです。朝鮮時代末期から南北分断にいたる時期の近代文学は、韓国の文学史に大きな足跡を残しました。文学にも新しい流れが生まれました。当時の社会的、情緒的変化がそのまま作品に溶け込んでいるのです。

韓国近代文学館は2階建ての建物で、1階の常設展示室では、詩や小説など、主な作家の単行本を、2階の常設展示室では、仁川地域の近代文学を紹介しています。また、1階の展示室の入口に設置されたショーウィンドには「小さな展示」と題して、希少本が展示されます。

常設展示室は近代文学の初期、1894年から1910年までの啓蒙文学からスタートします。この時期には既存の歴史小説、伝記小説と、新しく登場した新小説、国民を啓蒙するための詩 などが混ざっています。1910年代の文学コーナーはちょっと暗い雰囲気が漂います。日本による植民支配が始まった時期です。文学界にとっても暗欝な時代でしたが、文人の創作活動だけは活発に行われました。韓国の独立を叫ぶ3.1万歳運動が起きた1919年。この時期の韓国の文学作品には国を奪われた悲しさが映し出されています。近代文学館にはこの時期に発行された月刊紙「開闢(かいびゃく)」の原本があり、イ・サンファ詩人の「奪われた野にも春は来るのか」という部分が開かれたまま展示されています。



1925年から1935年までは韓国の近代文学で大きな意味を持つ文芸家の組織「カーフ(KARF:Korea Artista Proleta Federatio)」が結成され活動した時期です。「カーフ」という文人の団体が結成され、現実を映し出した小説や詩が次々と発表されました。韓国の近代文学を代表し、教科書にも載る作品が多く、こうした作品の原本が展示されています。1935年から1945年までは日本による弾圧が極限に達した時期で、心の深い傷をいやすため、生命にこだわる意志や豊かな故郷の風景を描いた詩が登場します。また、展示の最後には、植民支配から解放された1945年から韓国政府が樹立した1948年まで、復活した民族文学も紹介しています。

古い倉庫を改築して建てられた韓国近代文学館は韓国の近代文学の歴史と価値、面白さを
味わうことができる空間として注目されています。

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