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韓日共同宣言から25年

#ソウル・暮らしのおと l 2023-10-06

金曜ステーション

ⓒ YONHAP News
10月8日は、韓国の金大中大統領と日本の小渕恵三首相が1998年に発表した「韓日共同宣言」から25年目に当たる日です。
韓日共同宣言は、「21世紀に向けた新たな韓日パートナーシップ」という副題のとおり、新しい韓日関係のステージが開かれた大事な宣言といわれています。
小渕首相は植民地支配に対する「痛切な反省とおわび」を述べ、過去を見つめた信頼関係を築いていくことを表明しました。その上で、具体的な関係づくりと、パートナーシップを実践する行動計画が発表されました。
とくにこの宣言は、政府間だけでなく、民間の文化交流を広げるきっかけとなったことでもよく知られています。金大中大統領が日本文化開放を表明したことで、それまで韓国では規制されていた日本の大衆文化が公に広まるようになりました。
そこで今日は、韓日共同宣言をきっかけに変わっていった韓日の文化交流、そこでどんなふうに韓日相互の文化が広まっていったのか、その変化を見てみようと思います。


日本文化開放政策によって、日本の映画や音楽、ビデオ、ゲームそして漫画などは、1998年から2004年にわたり4回にかけて段階的に開放されました。
まずは映画。韓国で初めて一般公開された日本の映画は、北野武監督の「HANA-BI」でした。しかしその後、韓国で爆発的ヒットとなったのは岩井俊二監督の「ラブレター」です。岩井監督作品は日本文化開放前からアンダーグラウンドですでに人気が高かったのですが、公開後、140万人動員の大ヒットとなりました。真っ白な雪野原で中山美穂さん演じる主人公が「お元気ですか~!」と叫ぶシーン、これがとても有名になって「お元気ですか」が流行語になったほどです。
そしてアニメ。開放政策の前から日本の漫画やアニメは部分的に流入していて、すでに韓国では日本のアニメが馴染み深いものとなっていました。日本文化開放後、2000年代中盤までの間に韓国で上映された日本映画の興行ベスト10は、1位が「ハウルの動く城」、2位が「千と千尋の神隠し」と、いずれもジブリのアニメ映画が占めたほどです。


映画などの文化面だけでなく、韓日共同宣言ではスポーツ交流の促進も明らかにしています。ここで大きなきっかけとなったのは、2002年のサッカー・ワールドカップ韓日共催。これを機に日本でも韓国への関心が高まり、韓日の距離がぐっと近づいたのは間違いありません。
ワールドカップ共催と日本文化開放を経て、韓日のあいだで人と人の交流、文化交流が飛躍的に増えました。そしてその後、2004年に日本で放映され爆発的な人気となった「冬のソナタ」が第1次の韓流ブームを巻き起こし、現在の韓流ブームにつながっているというのは、よく知られたことですよね。そういった意味では、金大中大統領が韓流ブームの生みの親といっても過言ではない、などとも言われています。
韓日共同宣言から25年。そのかん、韓日の間ではさまざまな懸案が沸き立ち、必ずしも順風満帆だったとは言えません。しかし、文化交流、そして人と人との交流において、10月8日は大きな一歩を踏み出した日として記憶される日です。

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