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ピープル

韓服のデザイナー、キム・ヨンジン

2016-02-09


韓国の伝統衣装、韓服(ハンボク)のデザイナーとして知られるキム・ヨンジンさんは伝統的な韓服だけではなく、ウェディング用の韓服やカジュアル韓服、布団や枕などの小物のデザインも手がけています。ここまでは一般の韓服デザイナーと変わりません。デザイナー、キム・ヨンジンさんを特別にしているのは韓国の伝統的な美しさを活かしながらも、人と場所、時代に合わせて新しくアレンジするオリジナリティにあります。キム・ヨンジンさんの韓服は韓国の伝統的な線の美しさを保ちながら、西洋のドレスに用いられるレースなどの素材も使われているため、外国人にも違和感を感じさせません。彼女の韓服は、自由な素材とダイナミックなデザインで東洋と西洋の完璧なコラボと評価されています。しかし、彼女の人生計画に韓服デザイナーは含まれていませんでした。

キム・ヨンジンさんの夢は俳優になることでした。公演芸術アカデミーで演技と演出を学び、韓国の伝統芸能にも興味を引かれ、パンソリや仮面劇のタルチュムなどを習いました。劇団に入団し、演劇舞台にも立つようになったキム・ヨンジンさん。韓服との縁はこの劇団で始まりました。舞台衣装に韓服が多く、韓服を作るのを手伝いながら、その作業が面白く感じられました。時間が経つうちに舞台裏でクリエイティブな、自分だけの世界を築きたいと思ったのです。

演劇舞台を離れることにしたキム・ヨンジンさんが選んだジャンルはファッション。彼女は洋服売り場の販売スタッフとして働き始めます。新しい分野に挑戦しようと決めた以上、誰よりもうまくやりこなしていきたいと思ったキム・ヨンジンさん。その努力と情熱が報われ、彼女を世界的なファッションブランドのスーパーバイザーになりました。そこで、売り場のスタッフたちが自分が所属しているブランドに対してプライドを持っていると感じたキム・ヨンジンさんは、韓国の美しい伝統衣装や靴も進化し続けていれば素晴らしいブランドになっていたはずだと思い、何が問題だったのか悩むようになりました。西洋のドレスに比べ、手のかかる作業が多い韓服。彼女はその線の美しさをより多くの人に知ってもらいたいとも思いました。本格的に韓服について習ってみたいと思った彼女は数年間勤めていたスーパーバイザーの仕事を辞め、韓服作りに挑戦します。週に一度、無形文化財の先生に教えを請いました。決して急ぐことなく、赤ちゃんの産着から始めた韓服の勉強は、美しい大人の韓服を作れるほどに上達しました。そして、2004年には自分の名前をかかげた工房もオープンします。

キム・ヨンジンさんの韓服ブランド名は、韓国語で「差」もしくは「違い」という意味の「差違(チャイ)」。服の違いは繊細さの差によって決まることを知っているキム・ヨンジンさんならではのネーミングです。キム・ヨンジンさんは、まず伝統的な韓服ブランド「チャイ、キム・ヨンジン韓服」を立ち上げ、2013年には、セカンドブランド「チャイ・キム」をオープンしました。「チャイ、キム・ヨンジン韓服」はオーダーメードの韓服ブランド、一方、「チャイ・キム」は既製服のブランドです。「チャイ・キム」は、韓服の伝統を保ちながら日常生活に似合うデザインを発表しています。たとえば、ワイシャツには韓服の襟を取り入れ、韓服の上着にあたるチョゴリのデザインを活かしたジャケットやブラウスなどを作っています。ジーパンといっしょに着ても違和感を感じさせません。

「チャイ・キム」のもう一つの特徴は、特定した売り場がないことです。ベースキャンプのように、ソウルの三清洞(サムチョンドン)に一つのショップを置き、全国各地を巡りながら販売されているのです。済州島(チェジュド)の農場の倉庫、小さなギャラリー、伝統茶店など条件が揃えば、どこでも「チャイ・キム」の売り場を作れるので、より多くの人が「チャイ・キム」の衣装に接することができます。

韓服を作り始めて15年。韓服デザイナーとしてもかなり知られるようになったキム・ヨンジンさんですが、欲を出さないように努力しています。欲を出すと、執着になり、自由を失ってしまうと思うからです。キム・ヨンジンさんが特定した売り場を出さないのも、欲が出る可能性を断ち切るためでした。そんな彼女にも目標があります。「キム・ヨンジンというデザイナーの名前は消えても、100年以上続くブランドを韓国に残したい」、この目標が韓服デザイナー、キム・ヨンジンさんを支えている力なのです。

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