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ピープル

童話作家、ファン・ソンミ

2016-02-16


ソウルの国立国楽院で公演されている音楽劇「庭を出ためんどり」。養鶏場の中に閉じ込められて育っためんどり「イプサク」は、庭を出て卵を抱く日を夢見ながら生きていきます。何度も死んだ振りをして、裏山に捨てられた「イプサク」は偶然、カモの卵を見つけ、生まれて初めて卵を抱きます。しかし、「イプサク」がふ化させたカモ「チョロクモリ」はカモの群れから仲間外れにされてしまいます。「イプサク」はそんな「チョロクモリ」を立派なカモに育てて群れに返し、自分はお腹を空かせた子を育てているイタチの餌になるのです。温かい母性愛と大人に成長していく過程を描き出した「庭を出ためんどり」は、子どもたちだけではなく、大人にも自分に与えられた時間をどのように満たしていくべきかを考えさせる公演となりました。

音楽劇「庭を出ためんどり」は、2000年に発刊された同名の童話を原作としています。今年で16歳になるめんどり「イプサク」は、養鶏場の庭を飛び出し、今では韓国だけではなく、世界25カ国を旅しています。「イプサク」をこの世に生み出したのは童話作家、ファン・ソンミさんでした。デビュー20年を迎えた童話作家、ファン・ソンミさんが書いた「悪い子どもの印」と「庭を出ためんどり」は生きている児童文学作家の作品で初めてミリオンセラーを記録しています。

「庭を出ためんどり」の作家、ファン・ソンミさんは農村に生まれましたが、7歳になった年、知り合いの借金の連帯保証人になった父親が破産したため、故郷を離れて暮らすことになりました。新しい環境に慣れるのは難しく、彼女は周りの子どもたちから仲間外れにされていました。また、出稼ぎに行った父親の代わりに5人の子どもを育てなければならなかった母親は生活に疲れ、娘のファン・ソンミにも冷たかったといいます。そんな時、ファン・ソンミさんは、何かを書くことで心の傷をいやしていました。



20歳で独立した彼女は、ソウル芸術大学の文芸創作科に進学しました。27歳になった年に結婚し、30代になった時には2人の子どもの母親になっていました。そんなある日、ファン・ソンミさんに原稿の依頼が入ってきます。内気な子どもが心配で、毎日のように幼稚園に送っていた手紙を読んだ先生から「幼児情報」という幼稚園用の月刊紙に育児日記を書いてくれないかという連絡があったのです。締め切り前の緊張感と何かを書く楽しさの中で15ヶ月を送ったファン・ソンミさん。連載が終わった後、読書指導師の資格を取るための勉強をはじめました。ファン・ソンミさんは、主婦として、母親として、また、働く一方で、学生として熱心に1年を送りました。この1年の努力は、後に童話作家としてデビューする大きな糧となりました。1995年、ファン・ソンミさんは、「心に植えた花」という作品で農民新聞が主催する農民文学賞で受賞し、童話作家としてデビューしました。さらに、同じ年、「玉よ、玉よ」という作品で児童文学評論の新人文学賞を受賞しています。そして、1999年に新聞に連載されていた「悪い子どもの印」が話題を集め、2000年に発刊された「庭を出ためんどり」が空前のヒットを記録します。

「庭を出ためんどり」は偶然とファン・ソンミさんの興味が生み出した作品でした。本やテレビで見た「手なずけられたカモは自分の卵を抱かない」という話と「地鶏が卵を抱く時は胸の羽が抜けてしまう」という話が脳裏に焼きついて離れなかったそうです。2000年、自分の卵を抱かないカモの話と卵を抱くために胸の羽が抜けてしまう鶏の話は童話「庭を出ためんどり」に生まれ変わります。「庭を出ためんどり」は大きく注目され、2011年には同名のアニメ映画も制作されています。

童話「庭を出ためんどり」が描き出しているのは、温かい母性愛だけではありません。作家のファン・ソンミさんは童話の中に「人生」という大きなテーマを溶け込ませています。そして、主人公の「イプサク」には父親の姿を映し出しているのです。「ほとんどの人が平凡に生きているけれど、誰もがそれぞれの人生の中ではスターとして生きるべきだ」。これがファン・ソンミさんが「庭を出ためんどり」を通して伝えたいメッセージでした。

韓国の読者を魅了した童話「庭を出ためんどり」の情緒は世界にも通じました。飛べないめんどりが、作家、ファン・ソンミさんによって世界に向けて羽ばたいているのです。

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