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ピープル

ミュージカルプロデューサー、キム・ヒチョル

2016-03-01

ソウルの中心街、中区(チュング)にある忠武(チュンム)アートホールで上演されているミュージカル「フランケンシュタイン」。ミュージカル「フランケンシュタイン」は、人間の欲望が生み出した悲劇を描き出しています。

ミュージカル「フランケンシュタイン」が初演されたのは2014年。公共劇場、忠武アートホール開館10周年を記念する公演でした。創作ミュージカル「フランケンシュタイン」に対する観客の反応は熱く、上演10週目に、チケット売上げ100億ウォンを突破します。さまざまなジャンルの公演の中で健闘しているミュージカル「フランケンシュタイン」を見守りながら、感慨にふける人がいます。ミュージカルプロデューサー、キム・ヒチョルさんです。キム・ヒチョルさんは、2005年、忠武アートホール開館に合わせてプロデューサとして合流しました。彼は、忠武アートホールの公共劇場としての機能を活かしながら商業性を兼ねたミュージカル専用劇場に変化させた人物です。


キム・ヒチョルさんが文化芸術ジャンルと縁を結んだのは、1988年、KBSに入社した時からでした。入社したその年に開かれたソウルオリンピック関連イベントをはじめ、1994年まで6年間、さまざまな文化芸術イベントを担当しました。その後、三星(サムソン)映像事業団に籍を移したキム・ヒチョルさんは、エンターテインメント経営について基本から学びます。三星(サムソン)映像事業団でミュージカルという分野に初めて触れ、最高のアーティストと公演する機会を得ることができました。

1997年、韓国は思いがけない通貨危機に見舞われます。キム・ヒチョルさんが所属していた三星映像事業団は通貨危機の壁を乗り越えることができませんでした。一旦、エンターテインメント会社に移ったキム・ヒチョルさんに、2005年、忠武アートホール開館に合わせてプロデューサとして働いてみないかという連絡がありました。これまでの経験をすべて舞台に打ち込む時が来たと思ったキム・ヒチョルさん。しかし、思ったようにはいきませんでした。

忠武アートホールは、ソウルの中心街にありますが、人通りの多い場所ではありませんでした。また、世宗(セジョン)文化会館や芸術の殿堂など大きな公演場にくらべると伝統や規模、予算の面でも劣っていました。それならいっそのこと、最も大衆的なミュージカルという一つのジャンルに集中してみようと思ったキム・ヒチョルさん。しかし、開館3年目の忠武アートホールを、大々的な工事を経て、公共劇場としては初めてミュージカル専用劇場に改築するという彼の考えは大きな反発を買いました。


キム・ヒチョルさんは、1年間、関係者を訪ねて説得にあたり、2007年の春、78億ウォンの予算を投資した忠武アートホールの改築工事が始まります。7ヶ月後、ミュージカル専用劇場としてリニューアルオープンした忠武アートホールは、創作ミュージカル「美女はつらいの」をはじめ、さまざまな作品を舞台にのせます。時間が経つうちに、忠武アートホールの存在感は大きくなっていきましたが、キム・ヒチョルさんは満足しませんでした。忠武アートホールがクオリティの高い作品を作って安定的に供給することができれば、大きな競争力になると考えたのです。彼は2014年の開館10周年を目指して、時間をかけてミュージカル「フランケンシュタイン」を企画、制作していきました。公演は大成功。ミュージカル「フランケンシュタイン」は、今や、忠武アートホールだけではなく、韓国を代表する作品になっています。

忠武アートホールの本部長となったキム・ヒチョルさんは、これまでの成果に満足することなく、新しい目標に向かって、今も走り続けています。忠武アートホールのミュージカル制作のノウハウを活かし、同時に、かつて、韓国映画制作の中心地として「韓国映画の産室」と呼ばれていた忠武路(チュンムロ)を再び活気づけるためのイベント「忠武路ミュージカル映画祭」を企画しています。また、いつか忠武アートホールが中心となって「フランケンシュタイン」のミュージカル映画を制作し、韓国だけではなく、世界市場に進出することを目指しているのです。

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