朝鮮朝廷初期の記録である 『世宗実録』「地理志」(1454年)は、 鬱陵島と独島が江原道に属する島だと 記録しています。 
江戸幕府は鳥取藩の回答から 鬱陵島と独島が日本領ではないことを確認し、 竹島(鬱陵島)渡海禁止令を出しました(1696年1月28日)。 
安龍福(アン・ヨンボク)が鬱陵島に来た 日本の漁船を追撃して独島(子山島)から追い出し、 日本にまで渡ってきた事件です。
1870年日本外務省の佐田白芽らが 朝鮮視察の後に提出した報告書です。 
大韓帝国の高宗皇帝は勅令で 「鬱陵島を鬱島に改称して、 島監を郡守に改正する件」を制定・頒布しました。 
日本が独島の自国領土編入を知らせる告示です。
終戦後の日本の統治・行政範囲から 独島を切り離した覚書です。< 資料出典: 外交部 >