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小説『こびとが打ち上げた小さなボール』

#成川彩の優雅なソウル生活 l 2024-02-15

玄海灘に立つ虹


〇本日ご紹介する本は、チョ・セヒの小説『こびとが打ち上げた小さなボール』です。韓国ではとっても有名な作品なのですが、去年のとある忘年会で、인생책(人生で一番の本)をそれぞれ一冊ずつ挙げようということになって、5人中2人がこの『こびとが打ち上げた小さなボール』を挙げました。2022年に著者のチョ・セヒさんが亡くなった時に代表作として話題になっていて、韓国語で読んだのですが、今回改めて日本語版で読み直しました。日本語版は斎藤真理子さんの訳で、さすがとっても読みやすく、注釈も丁寧で、すっと入ってきました。
かなり昔の作品で、1975年から発表された「こびと」連作が、1978年に『こびとが打ち上げた小さなボール』というタイトルで刊行されたものです。韓国では140万部を超えるベストセラーとなっています。

〇韓国の1970年代という時代背景をある程度理解していないと分かりにくい部分もあるのですが、例えば「メビウスの帯」に出てくる「マンション入居権価格」という言葉。これが何を意味するのかというと、日本語版では詳しい注釈がついていて、この物語の舞台が70年代のソウルの無許可建築住宅密集地、いわゆるスラムで、当時の政府は再開発を進めていたこと、そして立ち退きさせられた住民、撤去民には再開発後に建設されるマンションに優先的に住める「入居権」が与えられるけども、その家賃が高額で実際には住めないため、入居権が売買されていたことなどが説明されています。
「メビウスの帯」の中では、撤去民は「入居権」を16万ウォンで売ったけども、後になって実は38万ウォンで売買されていることを知ります。「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国の経済成長の象徴の一つがマンション建設だと思いますが、その裏で犠牲になった人たちが見えてくる物語でした。

〇『こびとが打ち上げた小さなボール』の中には、「こびとが打ち上げた小さなボール」というタイトルの中編小説もあって、やっぱり撤去の話が出てきます。撤去民となる一家のお父さんが、身長117センチの‘こびと’なんですが、小さな体で家族のために一生懸命働くけども貧しい暮らしはなかなか好転しない。
悲しかったのは、家の一部は人に貸してチョンセ、一種の保証金をもらっていたのですが、立ち退くにあたって、そのチョンセを返すお金がない。近所の人がチョンセを返すためのお金を貸してくれるんだけども、そのお金の出どころが、この家の娘ミョンヒが稼いだお金で、ミョンヒは働いて働いて、そのお金を残して死んでしまったんですね。そしてまたこの近所の人に借りたお金を、主人公一家は入居権を売って返す。貧しさが連鎖していて、なかなか脱出できません。
さらに主人公一家の娘がこのマンション入居権を奪還するために奮闘しますが、その間にまた家族に悲劇が起こってしまいます。

〇連作というスタイルになったのは、翻訳者の斎藤真理子さんのあとがきによれば、当時は出版物への検閲が厳しくて、長編であったら発売禁止になっていたかもしれないということ。短編、中編を複数の雑誌や新聞に散発的に発表して、それを本にまとめたので出版できたようです。全体としてばらばらの話でなく、ゆるくつながっているという感じです。
基本的には先ほど述べたお父さんが‘こびと’の一家の話で、例えば、「やいば」という話は主人公はこの家族とは別ですが、‘こびと’が出てきます。‘こびと’は蛇口を付けかえて水がよく出るようにするという仕事をしているんですが、「やいば」の主人公の家の蛇口を付けかえた後、ある男からひどい暴行を受けます。自分の仕事を奪われたと思って怒ったのですが、‘こびと’ゆえ、なめられたのもあると思います。身体に障がいがあることで、さらに経済的弱者になっているという理不尽が見えてきます。『こびとが打ち上げた小さなボール』というタイトルは何か童話のようなかわいい響きもありますが、韓国社会の暗部を描いた小説でした。

〇この本が今も売れ続けているのはなぜか、ということも考えてみたいのですが、結局、不動産の売買による格差の開きというのは、今も続いていて、土地や建物を持っている人はどんどんお金持ちになって、ない人はどんどん家賃が上がって苦しくなるというのは今も現実として経験している人たちがたくさんいますよね。70年代の話でありながら、今の話として十分通用するんだろうなと思いました。韓国の不朽の名作、韓国現代史の一面を知るうえでも、ぜひ一度読んでみてください。

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