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文化

新しいコミュニティ空間として生まれ変わっている韓国のアパート

2014-03-25

韓国では、住居の6割近くを占めるアパート。韓国のアパートは日本のマンションと同じスタイルですが、韓国ではマンションという言葉はあまり使われず、
ほとんどがアパートと呼ばれます。

日本による植民地支配から解放されると、働き口を求めてソウルに人が集まり始めました。ソウルへの人口流入が加速化すると、住居が不足するようになり、山のふもとには無許可の掘っ立て小屋が密集するようになりました。さまざまな経済開発計画が発表され、都市を中心に職場が増えると、人が集まるようになると都市の整備を求める声が上がりました。



ソウル市は深刻な住居難を解決するためにアパート建設を進め、1958年、韓国に初めて3棟の鐘岩(チョンアム)アパートが建てられました。ソウルの北部、城北区(ソンブック)に建てられた鐘岩アパートには、政治家をはじめ、大学教授、芸術家など、いわば上流階級、152世帯が入居しました。建設当時、家の中に水洗式のトイレが設置されたことが大きな話題になりました。その後、1962年に初めて団地型のアパート、麻浦(マポ)アパートが完成してから、4、50年間、アパート建設ブームが続きました。アパートブームの初期、1960年代には庶民向けのアパートが次々に建てられましたが、1970年、新築のワウアパート1棟が崩壊する事故が起きます。この事故の原因は、庶民向けのアパートとして、地盤の弱い所に、安い建築材を使って建てたことによるものだとして、その後は、中産階級を対象にした、丈夫なアパートの建設が始まりました。1970年代に入って建てられたアパートには、韓国の伝統的な暮らしに合わせた床暖房と、西洋スタイルのトイレやキッチンが一つになった、韓国の暮らしにあわせたアパートが作られるようになりました。1980年代から1990年代にかけては、ソウル近郊の新都市開発ブームに伴ってアパートの建設がピークを迎えます。

1998年、韓国は深刻な通貨危機に見舞われました。不動産価格は暴落し、アパート建設に歯止めがかかりました。通貨危機は2000年代に入ってからもアパート市場に影響を及ぼしました。アパートの供給が需要に追い付かず、アパートの価格が急騰したのです。価格の急騰はアパートの高級化につながり、2002年からは高層の住居と商店の複合アパートが続々と建てられました。

地下に駐車場、地上には公園などが作られ、アパートはさらに暮らしやすい環境になってきています。ただ、近所とのコミュニケーションは徐々に少なくなっています。最近、アパートという住居空間が引き起こすさまざまなトラブルを解消するため、住民たちが触れ合う空間の必要性が問われ始めています。



こうした問題を解消するため、最近、韓国のアパートでは住民を対象にしたさまざまな同好会が登場しています。スポーツや文化などさまざまな活動を通して、住民の間のコミュニケーションを図る試みが増えているのです。

数十階建ての建物に大勢の人が暮らすアパート。向かいにどんな人が住んでいるのかさえ知らないこともあります。しかし、大勢の人が一つの空間に集まって暮らしているだけに少しだけ心を開けば、どこよりも親密な関係を結ぶことができるのです。韓国の住居の6割を占めるアパートは、今、温もりのある、新しいコミュニティ空間として生まれ変わり始めています。

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