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文化

「韓国文壇最後の奇人」と呼ばれた詩人、千祥炳

2014-05-20

4月26日、詩人や作家30人がそろってソウルに近い議政府(ウィジョンブ)市の市立公園墓地に向かいました。一行は、1993年に亡くなった韓国を代表する詩人の一人、故・千祥炳(チョン・サンビョン)の21周忌に合わせて集まった人たちでした。

「韓国文壇最後の奇人」、「純粋な無欲の詩人」とも呼ばれた千祥炳(チョン・サンビョン)。貧しかった暮らしにも関わらず、いつも屈託のない笑顔を見せる詩人でした。千祥炳は代表作とされる「帰天」で、この世は美しく、人生は遠足だと表現しています。そんな詩人を追悼するお墓参りだからでしょうか、彼の命日はいつも遠足のような雰囲気になるのだそうです。集まった人たちは詩を読んだり、歌ったり、先生といっしょにいるかのようにお弁当を食べたりして詩人、千祥炳を偲びます。

詩人としての千祥炳は、30代の頃に人間の知恵を凝縮したような詩を書きあげました。決してハンサムとはいえない容姿でしたが、誰にも負けないくらい美しい詩を書いた詩人でした。文学的な面で千祥炳を評価すれば、韓国のヒューマニズムやロマンチシズムを高めた詩人の一人といえます。

詩人、千祥炳は、1930年、日本で生まれました。彼が祖国に帰ってきたのは、韓国が植民支配から解放された1045年、中学2年の時でした。早くから文学的才能を認められていた千祥炳は、中学3年生の時、教師や詩人の推薦で、文芸誌に「川」という詩を掲載しています。その後、彼はソウル大学商科大学に入学しますが、文学をあきらめることができずに大学を中退し、1965年、「カモメ」という作品で詩人としてデビューしました。



1967年、ドイツやフランスに渡った多くの留学生や海外同胞が北韓のスパイとして活動をしていると疑われた「東ベルリンスパイ団事件」に巻き込まれた千祥炳は、6か月にわたって投獄されました。拷問の後遺症に悩まされ、あてどもなくさまよっていた千祥炳は、1970年のある日、ふっと姿を消します。友人や知人は彼を探すために手を尽くしましたが、翌年の春になるまで、千祥炳は見つかりませんでした。千祥炳が死んだと思った友人たちは彼の作品60首あまりを集めて最初の詩集であり、遺稿詩集「鳥」を発行しました。ところが、千祥炳は死んでいませんでした。街中で倒れているのを発見された彼は浮浪者に間違えられ、精神科の病院に収容されていたのです。詩集が発表されて間もなく、千祥炳は特有の笑みを浮かべて友人の前に現れました。こうして彼は生きていながら遺稿詩集を出した唯一の詩人になりました。彼が「韓国文壇最後の奇人」と呼ばれるようになった背景にはこうしたさまざまなエピソードがあるのです。



千祥炳詩人が眠る議政府では、春になると詩人を記念するフェスティバル、千祥炳芸術祭が開かれています。千祥炳芸術祭は先生が亡くなって10年目になる年に開かれた追悼音楽会がきっかけで生まれ、恒例の行事になり、今年で11回目を迎えます。千祥炳の詩にメロディをつけた歌による公演や詩の朗読会など、詩人にちなんだ素朴なイベントで構成されています。千祥炳芸術祭の会場となった議政府の芸術の殿堂の片隅には千祥炳の奥さんが25年間営んだ伝統茶屋「帰天」も再現されました。

詩人、千祥炳は貧しいことを恥ずかしく思いませんでした。彼は「私の貧しさは」という詩の中で、今朝、少し幸せだった理由として一杯のコーヒーと箱いっぱいのタバコ、朝ご飯を食べたのにバス代が残ったことだと書いています。千祥炳は、時間に追われる私たちが忘れかけている、日常の中の小さな幸せを語っているのです。

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