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文化

「2021アリラン応援歌」ほか

#国楽の世界へ l 2022-01-24

国楽の世界へ

「2021アリラン応援歌」ほか

昨年、韓国の文化体育観光部では、「2021アリラン応援歌」を作りました。広く知られている京畿(キョンギ)のアリランに、応援歌の歌詞をつけた音楽です。新型コロナウィルスによって疲れている人々を応援し、東京2020オリンピック競技大会を応援するという趣旨です。歌は、ユン・ドヒョンさんとみなさんが共に歌いました。ユン・ドヒョンさんとアリランといえば、2002年のワールドカップを浮かべる方もいます。それ以前からも、アリランは民族の歌とされてきました。1991年、日本で開催された世界卓球選手権大会で南北がチームになって参加したとき、国歌の代わりにアリランが流れたことでも知られます。アリランは、世の中のどの歌よりも韓国の民族をうまく表現できる歌でしょう。今日の最初は、ユン・ドヒョンさんの歌で、「2021アリラン応援歌、2021 아리랑 응원가」という曲をお楽しみください。


アリランは、1896年、ホーマー・ハルバートというアメリカ人によって、はじめて楽譜に記録されました。彼は宣教師であり教育者、ジャーナリストでもありました。彼が英文の雑誌に、アリランの楽譜を「朝鮮の歌」という題目で載せたのです。また、彼はこのような記録を残しました。「朝鮮の人にとって、アリランはお米のようなものだ。他の歌は、この歌に比べると稀に歌われ、いつでもどこでもアリランを聴くことができる。朝鮮の人々は即興的な歌を作ることに優れていて、完成した曲や音階がなくても、うまく歌える」とのことです。この記録から、当時、すでにアリランが広く歌われていたということ、即興的に新しく変えて歌っていたことを推測できます。1926年、ナ・ウンギュ監督は、映画「アリラン」のテーマ曲を直接作りました。子供の頃、南の地方からきた労働者が歌うアリランがとても美しく、また、悲しく聞こえたそうです。そのアリランに新しく歌詞をつけた音楽が、映画と共に大変な人気を博し、その後多様なアリランが作られました。ナ・ウンギュ監督が作ったアリランを「本調アリラン」、その後できたアリランを「新アリラン」と呼びます。そして、それ以前のアリランは、「旧アリラン」として区分します。今度は、チェ・ユンヨンさんの歌で、「旧アリラン、구아리랑」という曲をお楽しみください。


アリランは、伝統的なリズムも良いですが、時代と状況に合わせて絶えず変化していることに意義があります。歌詞だけを見ると、愛する人と別れ悲しむ内容の歌です。ここで、愛する人とは、家族や国も当てはまります。日本植民地時代には兵士らが「光復軍アリラン」や「独立軍アリラン」などを作って歌いました。ロシアや中央アジアなど韓国人が多く暮らす地域でも、「アリラン」がよく歌われると言います。現在、アリランという題目で伝わっている民謡だけでも、60種、3600曲に昇るそうです。2012年、アリランはユネスコ人類無形文化遺産に登録され、2014年には北韓のアリランも登録されました。今日の最後は、西洋の声楽、ミュージカル、歌い手などで構成されたラビデンスの歌で、「サンジュアリラン」という曲をお楽しみください。この曲は、「ボンファアリラン」とも呼ばれますが、キム・ソヒさんがボンファという地域に頼まれて作った曲だそうです。日本植民地時代、故郷を離れなければならなかった人々のストーリーを歌っているんです。

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