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歴史

黄金期を迎えた韓国映画

2015-03-03

黄金期を迎えた韓国映画
1962年3月、韓国最初の映画賞、「第1回大鐘(テジョン)賞」映画祭が行われました。韓国映画を発展させ、関係者を励ますために開かれた大鐘賞映画祭には、映画関係者だけではなく、2千人以上の市民がつめかけました。これといったレジャー文化がなかった1960年代の韓国人にとって、映画は最高の娯楽で、それだけに初めての映画賞に対する関心は高かったのです。

1950年に勃発、3年に及んだ韓国戦争が終わった時、韓国の映画制作施設は、ほぼ壊滅状態でした。 しかし、1950年代半ばを過ぎた頃から、韓国映画を復活させようとする努力が続けられました。努力の甲斐あって、1960年代に入ってから韓国映画は黄金期を迎えます。

1960年代に入って、韓国の映画界が最初に注目したのは「文芸映画」、文学作品を原作とした映画でした。 1961年に公開された映画「誤発弾」もその一つです。繊細なタッチで戦後の韓国社会を描き出した映画「誤発弾」は、韓国の映画史上に残る最高の傑作と評価されています。「誤発弾」からスタートした「文芸映画」の人気は「サランバンの客とお母さん」、「馬夫」など完成度の高い映画を生み出しました。映画「馬夫」は第11回ベルリン国際映画祭で特別銀熊賞を受賞し、韓国映画の世界進出のきっかけとなりました。

1962年。ソウルで第9回アジア映画祭が開かれました。韓国で初めて開催された国際映画祭だったアジア映画祭で、韓国は作品賞ははじめ、5つの部門で入賞し、韓国映画を世界に知らせる場となりました。アジア映画祭が開かれた翌年の1963年には朝鮮日報社が主催する「青竜映画祭」がスタートします。このように1960年代の韓国映画は映画関係者の情熱、映画祭開催など環境の変化、大衆の高い関心が一つになって、大きく成長することができました。

韓国映画振興公社が発行した「韓国映画年鑑」によると、1960年代の国民一人あたりの平均映画観覧回数は年5回。当時の経済状態から考えると映画は唯一ともいえる大衆文化商品だったに違いありません。その人気は年々高まり、1961年、69本だった映画制作は1969年には233本に増えています。

 韓国映画が黄金期を迎えた1960年代。当然ながら、韓国戦争は映画界にとって大きな素材の一つでした。しかし、韓国戦争をテーマにした映画にも変化が見えはじめました。北韓を敵視するそれまでの映画とは違って、1965年に公開された映画「南と北」は、戦争そのものより北と南に別れてしまった家族や恋人の傷と涙をつづっています。

1960年代の韓国映画のもう一つのキーワードは、「青春映画」。都会に生きる若者たちの悩みと挫折、恋と野望をテーマにした映画が登場し、当時の若者たちから大きな人気を集めます。1964年に公開された映画「裸足の青春」もその一つです。1960年代の韓国映画で忘れてはならないもう一つのジャンルがあります。「家族映画」です。その代表作ともいえるのが、1967年に公開された映画「八道江山(パルトガンサン)」。7人の子を育てた老夫婦が、全国にちらばって暮らしている子どもたちに会って繰り広げられる愉快なハプニングを描いた作品です。この映画は、急速に進められる産業化に疲れた世代に家族の温もりを伝え、空前のヒットを記録しました。

変化する社会の様子を映し出した多彩な素材で黄金期を迎えた1960年代の韓国映画。観客といっしょに笑い、泣いた1960年代の映画は今日の韓国映画の頼もしい基盤となりました。

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