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ピープル

宮廷料理研究家、韓福麗

2016-08-16

 ソウルの都心、鐘路(チョンノ)区にある朝鮮王朝時代の王宮、昌徳宮(チャンドックン)。昌徳宮のすぐ隣には朝鮮王朝の宮廷料理を教える「宮中飲食研究院」があります。45年の伝統を持つ宮中飲食研究院の院長、韓福麗(ハン・ポンニョ)さんは、重要無形文化財第38号に指定されている朝鮮王朝宮廷料理の技能保持者です。彼女は古い文献に記された王宮の料理や伝統的な食器などを復元し、宮廷料理だけではなく、いろいろな地域に伝わる郷土料理などについても研究しています。韓国で開かれる国際的なイベントの宴会に出される伝統料理の多くも韓福麗さんの監修を経て作られています。



 朝鮮王朝の宮廷料理が韓国の重要無形文化財第38号に指定されたのは1971年のことです。当時、宮廷料理の伝統を伝える役割を果たしていたのは朝鮮王朝の最後を見守った2人の王、高宗(コジョン)と純宗(スンジョン)に仕えたもと厨房女官の故・ハン・ヒスンさんでした。その後を継いだのが、韓福麗さんの母親である故・ファン・ヘソンさんです。日本で西洋料理を専攻したファン・ヘソンさんはもと厨房女官の故・ハン・ヒスンさんに弟子入りし、30年あまりにわたって伝統的な宮廷料理を学びました。故・ファン・ヘソンさんは、1971年、朝鮮時代の宮廷料理が韓国の重要無形文化財に指定された年に宮中飲食研究院を設立し、宮廷料理の大衆化に努めました。そして、長女の韓福麗さんに宮廷料理の調理法とともに、その伝統を伝えていくように教えたのです。韓福麗さんをはじめ、故・ファン・ヘソンさんの3人の娘は3人とも母親の後を継いで宮廷料理の伝統を守っていくために努力しています。宮廷料理の教育に関する限り、母親の故・ファン・ヘソンさんは厳しい先生でしたが、そんな母親の下で教えを受けながら育った娘たちが母親と同じ道を歩んでいるのです。

 母親の故・ファン・ヘソンさんはいつも「食べ物を扱う人は謙虚な気持ちを忘れず、正しく生活しなければならない」と言っていました。食材について「命あるものが育ってここまで来た」という心を忘れず、それを誰かに食べてもらうためには日頃の行動にも気をつけるべきで、料理はそれを食べる人を考えながら作るべきだと教えました。故・ファン・ヘソンさんが料理を作る人の態度を重視した理由は宮廷料理は王に出すもので、料理そのものが王に対しての尊敬を表し、王の威厳と権威を象徴するものだからでした。また儒教の倫理観を重視していた朝鮮時代、王宮で行われた宴や祭祀などの儀礼は、どのように神を祭り、王に仕え、民とともにするのかなど、統治理念を表したもので、その思想や哲学が料理にも映し出されています。

 母親から宮廷料理には朝鮮王朝の統治理念が表されていると学んだ韓福麗さん。彼女にとって「この世で一番おいしい料理」は「カン」をうまく合わせた料理です。一般的に「味かげん」を意味する韓国語「カン」は「間」を表し、この「間」は、味の比率、味の間だけを意味するものではなく、いっしょに料理を食べる人と人との間、その料理を味わう時間と空間などを総称しているというのです。

 韓国の宮廷料理や伝統料理の調理法や歴史は長い間、あまり知られず、また誤ったまま伝えられていました。韓福麗さんは韓国料理の伝統を守り、より多くの人に正しく伝えていくことが自分に課せられた使命だと考えています。そのため、彼女の伝統料理の授業は韓国の伝統文化を教えることから始まります。料理は作る時から材料の意味を考え、それぞれの料理に込められた韓国人の心を知ってもらいたいと願っているのです。

 今年、69歳になった韓福麗さんはまた新しい目標に向かって歩き出しています。自分がいなくなった後も、朝鮮王朝の宮廷料理の調理法や歴史が忘れられないよう、その伝統について紹介する資料館の設立を目指して資料を集め整理する作業を進めています。朝鮮王朝の宮廷料理の伝統を守り、伝えていくために生きてきた韓福麗さん。そんな彼女の特別な使命感は、韓国料理のルーツを知り、味を守っていくための大きな力となっています。

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