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ピープル

竹弓職人、キム・ビョンヨン

2016-08-30

韓国南部、大邱市(テグシ)にそびえる山、八公山(パルゴンサン)のふもとにある伝統竹弓体験事業団。竹弓体験事業団を率いているのは竹弓職人、キム・ビョンヨンさんです。キム・ビョンヨンさんは青少年を対象に、竹弓を使った弓道を教え、その伝統を伝えています。

竹で作った弓は、今も韓国のいたる所で見ることができるため、ありふれた弓のように思えるかも知れませんが、こうしたありふれた弓は古くから伝わってきた伝統的な竹弓ではありません。現在、韓国の伝統的な竹弓を作ることができるのはキム・ビョンヨンさんだけです。今年50歳になるキム・ビョンヨンさんが竹弓職人の道を歩むことになったのは、今から10年前、趣味で習っていた弓道の師匠にすすめられたのがきっかけでした。師匠は韓国で角弓が占める割合はごくわずかで、その伝統が忘れられていると言いながら、日本による植民地支配時代に手に入れ、大事にしまっておいた伝統的な竹弓を見せます。そして、キム・ビョンヨンさんに韓国の竹弓を復元してみないかと勧めたのです。キム・ビョンヨンさんは竹弓の伝統が忘れられてしまったことを残念に思い、本格的に韓国の弓について研究し始めました。



師匠の話に登場した角弓とは、弓筈(ゆみはず)=弓の両端の弦をかける部分を水牛の角で作ったもので、朝鮮時代には最高の兵器とされていました。性能の面では角弓の方が断然優れていますが、角弓は湿気に弱く、湿度の高い所で引いていると歪んでしまいます。朝鮮時代、雨が降っているからといって戦を中断させるわけにはいきません。また、角弓は制作過程が複雑で、材料となる水牛の角の供給も難しかったため、大量に生産することができませんでした。こうした角弓の短所を補うために登場したのが竹弓でした。竹弓に関する最初の記録は、朝鮮王朝時代に書かれた朝鮮王朝実録に残されています。朝鮮王朝17代目の王、孝宗(ヒョジョン)の時代、1655年の記録には、大邱(テグ)地域に派遣されていた官吏が新しい竹弓を作り、これを見た孝宗(ヒョジョン)は非常に満足し、官吏の昇進を命じたと書かれています。

孝宗の時代から朝鮮時代後期にかけて韓国南部、大邱地域で作られた竹弓は全国に普及し、さまざまな戦で使われていました。しかし、300年あまりが過ぎた10年前、朝鮮時代に使われていた竹弓は古い文献に記録されているだけで、それを作る職人も残っていませんでした。実物はキム・ビョンヨンさんの師匠が持っていたものだけでした。それを知ったキム・ビョンヨンさんは韓国の竹弓を本場、大邱(テグ)で復元しようと思い立ったのです。

試行錯誤を経てやっとのことで竹弓の材料となる竹を見つけ出したキム・ビョンヨンさん。その後の過程も苦労の連続でした。乾燥させた竹を蒸し、弓の形を作っていく過程は想像以上に難しいものでした。弓の形を作るため、腕にムリな圧力がかかり、靭帯が3回も切れてしまうほど辛い作業でしたが、韓国の竹弓の復元をあきらめることはありませんでした。韓国の伝統的な竹弓を復元しようと決め、弓の制作に打ち込んでいたキム・ビョンヨンさんは、2008年、ついに竹弓を復元することができました。そして2011年、忠清南道(チュンチョンナムド)天安(チョナン)で開かれた「世界民族弓大祝典」で初めて韓国の竹弓を披露したのです。

竹弓職人、キム・ビョンヨンさんは韓国の未来を担っていく青少年に韓国の弓の伝統を伝えたいと考えました。彼は、現在、全国の学校や施設などで竹弓を使った弓道を教えています。また、弓を射るだけではなく、茶道のように心を落ち着かせ、基本的な礼儀作法を身につけてもらうため、伝統楽器、大笒(テグム)の演奏を聞きながら的を射る新しい教育スタイルも取り入れています。

韓国の伝統を守りたいという一心で、竹弓を復元し、弓道の精神を伝えていくために努力している竹弓職人、キム・ビョンヨンさん。彼が本当に願っているのは弓を復元するだけではなく、韓国の伝統と精神を伝えていくことなのです。

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