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旅行

イチョウ並木で有名な徳寿宮の石垣道と重明殿

2010-11-23

イチョウ並木で有名な徳寿宮の石垣道と重明殿

ソウルの都心、光化門(クァンファムン)には大統領府の青瓦台(チョンワデ)や政府の総合庁舎など行政機関が集まっているため、堅いイメージがありますが、実際に歩いてみると、あちらこちらに季節の移り変わりを満喫しながらゆったりとできるスポットがたくさんあります。

朝鮮時代の王宮、徳寿宮(トクスグン)の正門、大漢門(テハンムン)からおよそ1.5キロにわたって伸びている石垣道もその一つです。大漢門はソウル地下鉄1号線と2号線の市庁駅の徳寿宮方面の出口を出たところにあります。そして、徳寿宮の石垣道はこの大漢門の横の路地を入ったところにあります。韓国語で石垣はトルダム、道はキルで、およそ500年の歴史を持つこの石垣道は「徳寿宮トルダムキル」と呼ばれていて、長い間、韓国の人たちに親しまれてきました。このトルダムキルには1メートルおきにイチョウの木が植えられていて秋の紅葉シーズンになると一面黄色に染まります。

徳寿宮のトルダムキルの正式の名称は「貞洞(チョンドン)キル」です。ここ貞洞には韓国の近代史を物語る建物がたくさん残っています。19世紀末、朝鮮に入ってきた外国の公館がこの一帯に建てられ、外国からやって来た宣教師たちも貞洞界わいに教会や学校を建てて、韓国に根をおろしたからです。1885年に設立された培材(ペジェ)学堂や1886年に建てられた梨花(イファ)学堂など、朝鮮時代に外国人宣教師によって建てられた近代的な学校の建物を今でも見ることができます。

大漢門の路地を入って、石垣に沿って少し歩いていくと、まず、左手に見応えのある展示会が開かれるソウル市立美術館が見えてきます。美術館を通りすぎて、もう少し歩くと、今度は赤レンガ造りの古風な雰囲気の建物があります。ゴシック風のこの建物は1897年に建てられた韓国最初のプロテスタント教会、貞洞(チョンドン)教会です。さまざまな建物の中で一番注目したい所は貞洞(チョンドン)劇場の隣にある重明殿(チュンミョンジョン)です。

地上2階、地下1階建ての西洋式のモダンな建物、重明殿はもともと徳寿宮の境内にあった建物でした。徳寿宮と重明殿の間に石垣が築かれたことがきっかけで、境内の外に押し出された形になってしまったのです。重明殿は1897年、ロシア人のサバチンが設計した建物で、当初は皇室図書館として建てられました。元来の名称は漱玉軒(スオクホン)だったのですが、1904年に徳寿宮が火災に見舞われ、高宗(コジョン)皇帝の執務室として使われた時に重明殿に名を改めました。

ここ重明殿は1905年、11月18日の明け方、軍隊を率いた日本軍によって高宗皇帝が乙巳(ウルサ)条約、第二次日韓条約が締結されたと推定される場所で、この条約によって日本は大韓帝国から強制的に外交権を奪い、統監府を設置して韓国を日本の保護国にしてしまったのです。その後、高宗皇帝がこの条約の不当さを国際社会に知らせるために、ハーグに特使を派遣した場所でもあります。

重明殿の1階には4つの展示室があります。第2展示室が乙巳条約が締結されたと思われる場所です。この条約が締結された前後の背景や条約の内容を見ることができます。また、強制的に条約が締結された過程や目撃者の証言、最後までその不当さを海外に知らせるために努力した高宗皇帝の努力などが分かりやすく展示されています。2階は高宗皇帝が外国からの使者を謁見していた場所で、高宗皇帝の肖像画や現在韓国に残っている一番古い国旗の太極旗、高宗皇帝の印章で、外国に親書を送る時に使っていた黄金の御璽(ぎょじ)などが展示されていて、国を失った王の悲しさが伝わってきます。

悲しい歴史が繰り返されないことを祈りながら重明殿を出ると、再び美しい徳寿宮のトルダムキルが迎えてくれます。徳寿宮のトルダムキルでは韓国の悲劇的な近代史と平和な現在を同時に顧みることができる充実した旅ができます。

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