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旅行

韓国キリスト教の歴史を物語るカトリック殉教の地、切頭山殉教聖地

2010-12-21

韓国キリスト教の歴史を物語るカトリック殉教の地、切頭山殉教聖地

ソウル地下鉄2号線または6号線の合井(ハプチョン)駅の7番出口を出て、漢江(ハンガン)方面に10分ほど歩いていくと、小高い山、切頭山(チョルトゥサン)殉教聖地が見えてきます。もともと切頭山は蚕の頭のようにも竜の頭のようにも見えることから蚕頭峰(チャムドゥボン)、または竜頭峰(ヨンドゥボン)と呼ばれていました。切頭山は漢江を臨む美しい山で、昔は中国から使者が来るとこの山のふもとの漢江に船を浮かべて風流を楽しんでいたほどでした。山のふもとにある渡し場は柳の木が生い茂っている船着き場という意味で、楊花津(ヤンファジン)と呼ばれていました。この美しい山、蚕頭峰(チャムドゥボン)が頭を切るという漢字を書く切頭山(チョルトゥサン)と呼ばれるようになったのは1866年のことでした。

韓国では1801年から80年あまりにわたってキリスト教を迫害する政策がとられ、大勢の信者が宗教を守るために命を落としました。特に、1866年には当時、莫大な権力を握っていた大院君(テウォングン)によって大々的なキリスト教抹殺政策を繰り広げられたのです。フランス人宣教師たちの死がきっかけとなってフランス艦隊は2回にわたって韓国を侵略し、大院君の怒りを買います。 大院君は当時、西小門(ソソムン)にあったキリスト教徒の処刑場を蚕頭峰(チャムドゥボン)のふもと、楊花津に移しました。2千人あまりに達するキリスト教徒がここで処刑され、その時からこの美しい山は切頭山と呼ばれるようになったのです。切頭山はローマ法王によって公式に聖人に列せされた103人のうち、27人の聖人と名のない殉教者1人の遺骸がまつられているカトリック殉教の地なのです。

1966年には楊花津(ヤンファジン)で起きた大々的な迫害事件100周年を記念して、教会や博物館などがある3階建ての記念館が新しく設けられました。キリスト教徒の首につけられた首かせや彼らがつながれていた鎖などをモチーフにしている記念館のデザインには神の教えを伝え、最後まで守り抜いた殉教者の精神と韓国キリスト教の殉教の歴史が込められています。

記念館に入る前に、まず目につくのは殉教者のための記念像です。お母さんとお父さん、そして中央に子供が彫刻されていて、3人とも首をかしげているように見えます。これは斬首、つまり首を切られてしまった殉教者を意味しています。

記念館の中には映像室、体験館、野外博物館、聖人の遺骸がまつられている聖骸室、室内博物館などがあります。室内博物館には韓国でのキリスト教会創立の過程を紹介するさまざまな資料、キリスト教徒迫害に関する史料や遺物、殉教者たちの遺品、彼らを拷問するときに使っていた刑具などが展示されています。

記念館の右の方にある教会に入り、さらに教会の右側にある階段を降りていきます。ここは聖人に列せられた殉教者の遺骸がまつられている所で切頭山殉教聖地でも、一番聖なる空間とされています。

1984年は韓国にキリスト教が伝わって200年目になる年でした。これを記念して、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世が韓国に訪れました。 一番最初に訪れたのがここ切頭山殉教聖地でした。その後、マザーテレサもここを訪れていて、外国でも切頭山は韓国カトリック殉教の地として知られるようになりました。切頭山殉教聖地には韓国人をふくめて年間50万人あまりが訪れています。

きらきらと光るクリスマスツリーも幸せそうなクリスマスキャロルもすてきですが、今年のクリスマスには韓国のキリスト教を守るために命を捧げた殉教者の足跡をたどって切頭山殉教聖地を訪れていてはいかがでしょうか。

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