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王妃殺害事件を目撃したロシア人建築家

2020-10-31

KBS WORLD Radio

イワノビッチ・セラディン・サバティン。23歳の時、済物浦(現在の仁川)に来て1904年まで20年間滞在し、多くの近代的建物を建設したロシア人建築家。


朝鮮の外交権を剥奪した乙巳勒約(1905)が結ばれた重明殿。ここで韓露国交正常化30周年記念特別展「ロシア青年サバティン、朝鮮に来る」が開催された。


1890年代の仁川港。サバティンは仁川税関で5年間働き、この間、埠頭の建築工事や外国人居留地の測量、地図作成などに関わった。


サバティンが作成した地図と工事見積もり書。建築を専門に学んだことはなかったが、こうした書類の作成を通して建築の実際や設計を学んだと見られる。


今の貞洞公園にあったロシア公使館の模型。建設工事は1885年から5年かけて行われ、サバティンは設計の改修案を作り、建設途中から関わったと見られる。


国王高宗と世子純宗が逃げ込んだ「露館播遷」(1896年)の舞台。宏大な建物は国王らを受け入れ、1年にわたって政治を執るのに十分なスペースがあった。


一時期、景福宮の「侍衛隊」で勤務したサバティンは、1895年の王妃殺害事件に遭遇し、目撃した事件の経緯を証言記録や現場見取り図を残すことになった。


徳寿宮の中の「静観軒」。サバティンが設計・建設し、今も残る代表的な建物。外に開かれたバルコニーを持ち、国王高宗はここでお茶会や音楽会を楽しんだ。


静観軒の裏には、ロシア公使館に通じる地下道があり、その入り口と見られる。国王は、いつでも逃げ出せる脱出路を作らせるだけ、サバティンを信頼していた。

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