金正日が公式に権力の前面に出てきたのは、1980年10月の第6次党大会だった。金正日はこの党大会で政治局常務委員、秘書局秘書(書記)、軍事委員会委員に選出された。政治局と秘書局という2大組織の職位に就いたことで、事実上権力の最上部に上がり、軍事委員になったことによって軍を掌握する基盤もできた。 1983年には中国を訪問して首脳級としての対外活動を始め、1986年からは中国やソ連などの首脳級と年賀状を交換するようになり、1988年からは金日成にだけ使われていた「現地指導」という用語を金正日にも使うようになった。1990年に国防委員会第1副委員長(委員長は金日成)、1991年には人民軍最高司令官、1993年には国防委員長に推戴され、軍部をはじめとする、すべての国家権力を掌握した。もちろんその過程では金日成の強い支援があった。