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ショートトラック最終日 韓国は金メダル獲得ならず
ゴールデン・デイと名付けられ、あわよくば金メダル3つ、運が味方しなくても金メダル1つは取れるであろうと期待され行われた22日、蓋を開けてみると、期待を大きく下回る結果となりました。 韓国のショートトラック男女代表チームは、22日、江陵(カンヌン)アイスアリーナで行われた、男子500メートル、女子1000メートル、男子5000メートルリレーの3種目で金メダル獲得に挑みましたが、結果は、男子500メートルで銀メダル1個と銅メダル1個にとどまりました。 ショートトラック女子1000メートルはレース終盤に韓国の選手2人が接触して転倒するという最悪の事態となりました。 また男子5000メートルリレーでも25周を残した状況でイム・ヒョジュン選手が転倒し、最下位に落ちました。 「私たちは心を合わせて頑張ったのですが、結果は出せませんでした。 オリンピックでのメダルは天から授かるものだと思っています。 努力したのに比べて良い結果が出せたとは言えませんが、全てを受け入れます。 この様な盛大な声援を受けながら、自国で開催されたオリンピックに出れたことを 光栄に思います。(男子5000メートルリレーのキム・ドギョン選手のインタビュー)」 不運の中で最善を尽くした選手たちに拍手をお送りします。 (Photo : Yonhap)
2018-02-23

平昌オリンピック便り

ヨナキッズのチェ・ダビンが活躍 
21日、フィギュアスケート女子、ショートプログラムが行われました。 韓国からはチェ・ダビン選手が出場。 自己ベストの67.77点で8位になり、フリーへと駒を進めました。 「何位であるかより、私ができることをすべてお見せしたので、満足しています。 韓国で開かれるオリンピックということで、多くの人が応援に来てくれて、 最善を尽くせたのだと思います」 チェ・ダビン選手は2000年生まれの18歳。 シニアに上がってから2度目のシーズンとなる去年の札幌アジア大会で 金メダルを獲得し、 一躍、韓国フィギュア界の期待の星と呼ばれるようになりました。 チェ選手はキム・ヨナさんにあこがれて 本格的にフィギュアの道を歩むようになったということで 「ヨナキッズ」と呼ばれています。 高校もキム・ヨナさんと同じ、3月から進学する大学も同じ、 所属事務所も同じで、キム・ヨナさんから直々にアドバイスを受けているそうです。 チェ選手が21日のショートプログラムに選んだ曲は、 映画「愛のイエントル」から、「Papa, Can You Hear Me?」。 これは、キム・ヨナさんもジュニア時代に使っていたものです。 羽生結弦選手なども手がける宮本賢二さんが振り付けを行いました。 「母のことを考えながら演技をしました。 とても緊張しましたが、コーチが「あなたを信じている」と言ってくれたので、私も、自分を信じて滑れました」 この曲で演技をしながら、お母さんを思っていたと語るチェ選手。 実は、去年の6月にお母さんを癌で亡くしています。 しかし、その直後に行われた選考会で、見事優勝しました。 また、成長痛のためスケート靴が合わないという問題も生じましたが、 左右違う靴にすることで、乗り越えてきました。 清楚ないでたちの裏には、強い精神力を隠し持った選手なのです。 23日にはいよいよフリーが行われます。 亡き母の見守るなか、韓国の人々の見守るなか、 自分の満足できる最高の演技を見せてくれることでしょう。 御賜花・スホランの人気 今回のオリンピックでは、メダルを渡す「メダルセレモニー」のほか、 競技直後の表彰式「ビクトリーセレモニー」で ぬいぐるみが渡されていることが話題になっています。 このぬいぐるみは、今回のオリンピックのマスコット「スホラン」です。 スホランは、守り神を象徴する白い虎をモチーフにしたもので、 守ること「守護」の韓国語の「スホ」と、トラの韓国語「ホランイ」、 そして、オリンピックの舞台となっているジョンソン一帯に伝わる民謡 「ジョンソン・アリラン」を掛け合わせています。 しかし、セレモニーで贈られるぬいぐるみを見てみると ただのスホランでなく、 カラフルなアクセサリーがあしらわれた黒い帽子をかぶっています。 これは、「御賜花(オサファ)」といって、 朝鮮時代、科挙に合格した人が、王からもらう贈り物でした。 なかでもスホランのものは、 儒学者・栗谷李珥の御賜花をモチーフにしているということですが、 栗谷李珥は9回科挙を受けて、すべて主席で合格し、 長い朝鮮時代のなかでも科挙において最も優秀であったと言われています。 今回のオリンピックでも、その優秀な儒学者になぞらえることで、 メダリストたちをたたえているのでしょう。 この御賜花をかぶったスホラン。 公式ショップの商品にもなっていますが、 人気が高く、なかなか手に入れることができません。 オリンピック期間と重なった旧正月・ソルラルのプレゼントとして 多く買い求められたほか、 勉強第一の高校生の子どもたちをもつお母さんたちも 「科挙に合格したスホラン」が縁起がいいということで こぞって買っていったからです。 そのため、定価は3万9000ウォンですが、 取引サイトでは10万ウォンから15万ウォンで取引されています。 こうした商売が横行するのは、いい傾向とは言えませんが、 それでも、マスコットがここまで愛されているということは 今回の大会の誇らしい点の1つと言えるでしょう。 (Photo : Yonhap)
2018-02-22

平昌オリンピック便り

20日、ショートトラック女子3000mリレーの決勝で韓国は金メダルを獲得しました。
韓国チームは、チェ・ミンジョン、シム・ソクヒ、キム・アラン、キム・イェジン選手が出場し、イタリア、カナダ、中国と激しく争いましたが、4分07秒361の記録でゴールし、ショートトラックで3つ目の金メダルを獲得しました。 この種目で韓国は1994年から2006年まで4連覇を果たし、前回のソチ大会、そして今回と通算6回目の金メダルです。まさに韓国のお家芸とも言える種目です。 またこの種目、 10日に行われた準決勝で4周目にタッチの際に転倒したイ・ユビン選手のところにチェ・ミンジョン選手が滑って行き、手でタッチし滑り出し、半周も差をつけられていたのに見事にトップでゴールインした、あの名場面の種目でもあります。 まさにチームワークの勝利ともいえる場面でしたが、それとは反対にチームワークの悪さが目立った競技もありました。 19日に行われたスピードスケート女子チームパシュートの準々決勝でのことでした。韓国チームはキム・ボルム、パク・ジウ、ノ・ソンヨンの3人の選手が出場しましたが、リンクを6周するこの競技で韓国チームは残り1周の場面でスパートしますが、一番後ろを滑っていたノ・ソンヨン選手が他の2人の選手に大きく遅れをとって決勝ラインを通過し、韓国チームは準決勝進出に失敗しました。 この競技は3人が一列になって滑り最後に決勝ラインを通過した選手のタイムが記録となります。そのためスピードを競いながらもチームメートが互いに遅れないように励ましながら滑るチーム競技です。 競技終了後の記者会見での発言、競技終了後、前を走っていた2人の選手が先に退場に、ノ・ソンヨン選手が一人で泣きじゃくるのをコーチが慰めている場面などがテレビに映り、先にゴールした二人の選手が世間から激しい非難をあびています。 準決勝に進出できなかったことよりも、選手同士の相手を思いやる気持ちの見えてこない、内紛のような様相が悲しいですね。 (Photo : Yonhap)
2018-02-21

平昌オリンピック便り

スピードスケート男子500m チャ・ミンギュが惜しくも銀
19日、スピードスケート男子500mで。韓国のチャ・ミンギュ選手が34秒42で銀メダルを獲得しました。オリンピックレコードに並ぶタイムを記録した会心の滑りでしたが、次に滑ったノルウェーのホーバル・ロレンセン選手が34秒41を記録し、オリンピック記録が塗り替えられるという大接戦でした。わずか0.01秒の差。残念ではなかったでしょうか。 「3位までに入れて、言葉では言い表せないほど感激しています。3位以内に入ることが目標だったので、目標を達成することができてとてもうれしいです」 チャ選手にとっては初めてのオリンピックです。初めて出場したオリンピックで、オリンピックレコードに並ぶタイムを記録したことを、どう思っていますか。 「これくらいの記録が出るだろうな、という予想記録があったのですが、その記録を出すことができたので、いったんは成功したと思いました。また、記録がよかったので正直金メダルも狙うことができるのではないかと思いました。0.01秒の差でかないませんでしたが。。。」 チャ選手は、ソチオリンピックの韓国代表選抜戦を前に足首が故障し、ソチオリンピックに出場することができませんでした。そのことが今回の銀メダルにつながったのでしょうか。 「当時は選抜戦に出ることができませんでしたが、それだけに平昌には行こうと、たくさんの努力をし、徹底的に準備しました。平昌オリンピックではうまく滑れるように」 足首の故障もそうですが、チャ選手が銀メダルをとるまでに成長した過程は、多くの曲折がありました。もともとスケートを始めたのも体が弱かったチャ選手がもっと丈夫になれるようにという両親の希望からで、選手になることまでは考えていませんでした。また、実はチャ選手は小学校の時から高校までショートトラックの選手として活躍していましたが、大学進学を前に、スピードスケートに転向したといいます。 「ショートトラックもけっこう滑れたのですが、体のぶつかり合いがあまり好きではなくて。。ただ記録のことだけを考えて滑るスピードスケートが自分には合っていると思いました。よい選択だったと思います」 足首の故障で運動は無理だと医師から言われた時も、リハビリを選択したチャ・ウンギュ選手。リハビリがきつかったとき、ほかの道を考えたこともあったけれど、スケートを続けたいという気持ちで耐えたといいます。これからもエースにふさわしい活躍を期待します。   氷の質が好評 今回のオリンピックでは、氷の質が良いと、選手たちが口を揃えています。 スピードスケート女子の小平奈緒選手も、競技場での初めての練習を終えてから、「リンクの中が暖かいので体を動かしやすいし、氷も固くてコントロールしやすい」と話したと言います。 また同じく初めての練習を終えたフィギュアスケート男子シングルのアメリカのネイサン・チェン選手も、競技場での初めての練習を終えてから、「素晴らしい氷質」だという感想を残しています。 スケルトン男子金メダルを獲得したユンソンビン選手も、「氷の状態がとてもいい。一度も経験したことのない氷質だ。よく管理されている」と話しています。 氷上競技が行われる競技場の氷は、凍らせる過程を250回以上繰り返して作りあげます。例えば5センチの氷をつくるには、0.2ミリの薄い氷をつくる過程を250回繰り返すのです。一度に大量の水を凍らせると、酸素が多くなり、氷の強度が弱くなるからです。 ショートトラックとフィギュアスケートは同じ競技場、カンヌンアイスアリーナで行われますが、二つの競技の氷の条件は異なります。ショートトラックの氷は厚さ3センチ、フィギュアスケートは5センチです。また氷上の温度はショートトラックが氷点下7度以下、フィギュアスケートは氷点下3~4度が最適の温度です。 カンヌンアイスアリーナでは冷凍機3台を使い、氷面の状態を1時間30分で変えられるようにしています。また、リンクの床下に冷却管と温水菅を敷きつめ、氷質をすばやく調整できるシステムをつくりました。 氷質が良いことは、新記録がたくさん出ていることからもわかります。 オランダのスピードスケート男子5000m代表で、自らが持つオリンピック記録を更新したスベン・クラマー選手は1986年生まれの32歳。スポーツ選手として若いとはいえません。年を重ねるほど技が発展するという要素もありますが、競技場の氷質も、彼の記録更新に役に立ったのではないか、というのが専門家らの一致した意見です。 ショートトラックでもオリンピック記録が出ています。女子3000mリレーで、韓国のイ・ユビン選手が転倒しましたが、それを挽回して余りある4分06秒387というオリンピック記録が出ました。平昌オリンピックの氷の質を総括しているのはペ・キテさん。スピードスケートの韓国代表出身で、この17年間、氷の質をよくすることに努力してきました。残りの競技でも、最高の氷で最高の記録が出る大会になりますように。 (Photo : Yonhap)
2018-02-20

平昌オリンピック便り

メダルより輝いた2人の友情 スピードスケート女子500m 
日曜日18日の夜には韓国でも日本でも同じ画面を見て応援していたのではないでしょうか。 スピードスケート女子500m、韓国の李相花選手と日本の小平奈緒選手の出場した試合でした。 オリンピックの前から何かと言えば互いに比べられていた二人でした。 特に韓国では地元開催、オリンピック3連覇ということもあり、李相花選手への重圧は凄いものがありました。 結果は小平選手が36秒94のオリンピック新記録で金メダル、イ・サンファ選手は37秒33で銀メダルでした。 競技直後のインタビューでイ選手は 「銀メダルですが、これでも私は最善を尽くしたので、多くの激励ありがとうございました。 実は試合の前からうれしいのが半分、緊張が半分でした。なぜなら韓国でワールドカップをきちんと開いたこともなかったので、こんな大歓声を聞けるんだということ自体が新鮮で、若干適応できないほど、でもありました。とても面白かったんですが、結果は少し残念ですね」 さすがに「氷上の女帝」と呼ばれるイ選手です。 実は、イ選手は小平選手の次の組で登場し、最初の100メートルは10秒20と小平選手を0秒06上回りスピードに乗りましたが、終盤のカーブでバランスを崩しました。 そして自分の試合についてもこんな冷静な分析をしていました。 「自分が早いとは感じていました。それで最後のコーナーで少しミスったようです。なぜならとても早すぎたので、早い速度を久しぶりに感じたので少しコントロールできないようなスピードだったということでしょうか。それで最後にミスが出たようです。それさえなければ、でももう終わったことですから」 そして試合の終わった後、小平選手と抱き合い互いの健闘をたたえた場面は多くの人に感動を与えたようです。 試合後のインタビューでも小平選手とイ・サンファ選手に相手の選手に対する感想を聞く場面が何度もでてきました。 二人の選手の口からは同じように相手選手を『尊敬する』という答えが返ってきたのも印象的でした。 「私は1000mまで放棄して500mに焦点を合わせましたが、彼女は1500mにも出て、1000mにも出て、最後に500mで金メダルです。互いに誇らしい、尊敬しているという表現をしました。互いに学ぶ点の多い、そんな話をしました」 一方の小平選手も 「サンファ選手に、たくさんのプレッシャーの中でよくやったね、と伝えました。リスペクトしているよと伝えました 。人としてもスケート選手としてもすごく尊敬ができる友達です」 と語っています。ライバルを尊敬していると言えるというのも、その強さの秘訣なのかもしれません。 素晴らしい選手の影には愛する家族がいる 素晴らしい選手の影には愛する家族がいます。 17日に行われたショートトラック女子1500mで金メダルを手にしたチェ・ミンジョン選手。13日に行われた500mではメダルに手が届いていたにもかかわらず、他の選手に当たったということで失格となってしまいましたが、500m決勝での衝撃を乗り越え、17日の1500mでは見事金メダルを手にしました。 彼女の鋼鉄のメンタルを支えるのは「お母さんの手紙」です。 金メダルを手にした後のインタビューで強い精神力の秘訣について尋ねた質問に 「もともと結果には振り回されないようにと決心していました。どんな結果が出てもすぐに忘れて次を準備しています。 去年の世界選手権のときに不振だったのですが、結果に執着しないようになりました。母がオリンピックの前に手紙を書いてくれました。苦しい時にはこの手紙に目を通して慰められています。常に最善を尽くしているのだから競技を楽しむようにという内容でした」 と答えていました。 選手のほうからお母さんに電話をかけることもあるようです。 女子スピードスケート3連覇を目指すイ・サンファ選手、イ選手のお母さんは1週間前の12日に娘から電話をもらいました。顔を見たいので選手村まで来て欲しいという内容でした。もともとイ・サンファ選手の出場する14日のスピードスケート女子1000mを応援に行くつもりでしたが、娘からの電話であわてて江稜の選手村に駆けつけまし。面会時間は30分、特別な話はしなかったということです。 その後・イ・サンファ選手は1000mには出場せずに500mだけに出ることを決めました。 そして18日の試合終了後、イ・サンファ選手はインタビューで家族に対してこんなことを言っています。 「オリンピックに両親が初めて来てくれました。両親が会場にいたから緊張したときに両親の顔を思い浮かべて、それが力になりました」 と話していました。 韓国にスケルトンで史上初の金メダルをもたらしたユン・ソンビン選手。フィギュアスケートやショートトラックの選手が幼い頃から訓練を始めるのに比べて、ユン選手は18歳というスポーツ選手として遅い年齢で初めてスケルトンを始めました。この点についてユン選手のお母さんは 「ソンビンが最初にスケルトン競技をすると言ったときには危険そうにもみえたので反対しました。しかしあの子がスケルトンに熱心に集中する姿を見て気持ちが変りました。周りからは非人気種目だし、ソリでメダルが取れるのか、年齢的に遅すぎるスタートではないかと心配の声もありましたが、私はそんな声には耳を貸さずにあのこの選択を信じて支持しました。今あの子に、いつもお前の夢を100%信じて応援していると言ってあげたいです」 と述べていました。 やはりすばらしい選手の影にはそんな娘と息子を信じて、応援する頼もしい家族がいるようです。 (Photo : Yonhap)
2018-02-19

平昌オリンピック便り

スケルトン金メダリストのユン・ソンビン 強さの秘訣は?
16日、スケルトン男子の後半3、4回戦が行われ、韓国のユン・ソンビンさんが1回戦から4回戦までの合計タイム3分20秒55で金メダルを獲得しました。 そり競技で韓国がオリンピックのメダルを獲得したのは、これが初めてです。 ところで、金メダリストのユン・ソンビンさんがお守りのように、いつも大事にしているのが話題なっています。 本人が大好きな映画キャラクター「アイアンマン」をデザインしたヘルメットと、「タイガーバーム」です。 スケルトンの選手たちは、試合前に体にWarm Up Cream、日本ではスポーツマッサージクリームと呼ばれているものを塗るらしいのですが、ユン・ソンビンさんはいつもマッサージクリームの代わりに、このタイガーバームを塗ってるそうです。 (Photo : Yonhap)
2018-02-16

平昌オリンピック便り

ショートトラック女子500m決勝
韓国のチェ・ミンジョン選手はイタリアのアリアナ・フォンタナ選手とほど同時にゴールし、金メダルか、だめでも銀メダルだとテレビを見ていたすべての人々が確信していました。 ところが、しばらくして電光掲示板に示された結果は衝撃的なものでした。 チェ・ミンジョン選手、試合途中でほかの選手を押したと判定されペナルティを受けて失格となってしまったのです。 試合直後のインタビューでチェ選手は差し出されたマイクの前でまず 「審判の判定ですから、それでも後悔のない結果を出せて満足です。一生懸命に準備してきたので、結果については後悔すまいと決めていたので結果は謙虚に受け止め、残りの種目に集中します。私は後悔していませんが、多くの方に応援していただき、その期待にこたえる事が出来ず、申し訳なく思っています」 と答えました。 さらに残りの試合にはどのように臨むつもりですかという質問には 「今後1500mを控えているので、1500mが主種目なので、自信をもって臨みたいと思います。残りの種目、1000mもリレーも集中して、良い姿をみせられるように努力しますから、これからも応援と関心をお願いします』 と答えていました。KBSの解説委員もそんな彼女をみて、「普段からクールな性格で強い精神力をもっているので大丈夫でしょう」と言っていました。 絶対に悔しくないはずはないのに、出されたマイクに対して淡々と答えていた19歳のチェ選手。さすがに国家代表になるだけのことはあるなとつくづつ思いました。 キム・ミンソクが銅メダル獲得 スピードスケートの男子1500m 13日、スピードスケートの男子1500mで銅メダルに輝いたキム・ミンソク選手は、この種目で韓国に初めてのメダルをもたらしました。アジア勢としても初めてのメダルです。 キム選手は今回が初めてのオリンピック、そしてこの1500mがオリンピックデビュー戦でした。キム選手は小学校1年のときにショートラックでスケートを初め、その後スピードスケートに種目を変え、16歳だった2014年に最年少の国家代表になるほど、幼い頃から頭角をあらわしてきたエリート選手でした。そんなキム選手について元国家代表のチェガル・ソンリョルさんは 「キム・ミンソク選手は平昌オリンピックのマスコットのスホランのように勝負欲の強い選手です。すばらしい努力家ですし、誠実に練習する選手でもあります。スピードスケートの1500mはヨーロッパ選手の独断場でした。無酸素状態で持久力を発揮するきつい種目です。彼が銅メダルをとったことで、この種目でアジア選手も勝てることが証明され、その意味も大きいと言えます」 キン・ミンソクの選手の座右の銘は「後悔無しに」だそうです。まさに後悔の無いレースでした。 韓国に帰化した選手たち 今回の平昌オリンピック、韓国は帰化選手が多く5種目に19人の選手が出場します。 種目別にはアイスホッケーが一番多くて男女合わせて10人、バイアスロン3人、アイスダンス1人、リュージュ1人などです。国別にはカナダ国籍の選手が8人で一番多く、 以下、アメリカ5人、ロシア4人などの順です。特に男子のアイスホッケーは 25人の代表選手のうち7人が外国出身です。これについて平昌オリンピックの関係者は 「アイスホッケーでは国籍を移して大会に出場することが一般化しています。韓国の成人選手は200人程度と貧弱なので、国際アイスホッケー連盟が持続的に外国選手を受け入れるよう勧告したりもしました」 と語っています。 大韓体育会(韓国オリンピック委員会)は2010年から体育分野の優秀な人材を特別帰化を通じて積極的に受け入れてきました。 帰化すれば通常は元の国籍を失効するものですが、特別帰化では元の国籍を放棄しなくて済みます。そのため、オリンピック後には自分の国に帰ってしまうのではないか、それぞれの分野である程度の実力のある選手とは言え、自国では代表になれなかった選手、果たしてメダルに手が届くだろうか、と言った否定的な意見も聞こえてきます。 しかしリュージュ女子のエイリン・ブリシェ選手は13日のリュージュ女子一人乗りで、3分06秒400を記録し堂々と7位となりました。ブリシェ選手は2012年の世界ジュニアで2冠を獲得した選手です。 フィギュアスケート団体戦に出場したアイスダンスのカップル、ミン・ユラ、アレクサンダー・ガメリン組。このチームも実は帰化選手です。ミン・ユラ選手は。在米韓国人でアメリカ国籍を放棄して出場、ガメリン選手は特別帰化した選手です。 二人はアメリカで幼い頃から同じコーチの下でスケートを学び,2015年からペアーを組んでいます。11日の団体戦ではユラ選手の衣装が途中ではだけるというハプニングに見舞われ成績は9位でしたが、最後まで息のあった演技を見せていました。 もちろんメダルを取るためという意味はあるものの、ウインタースポーツの底辺の狭い韓国ではこのような特別帰化選手の活躍を通じて人々の関心を高めるという意味も大きく、そういう意味では成果をあげているようです。 また13日のスノーボード女子ハーフパイプで金メダルをとったクロエ・キム選手は韓国系アメリカ人、フィギュアスケートの女子シングルの長洲未来選手は日系アメリカ人です。彼女たちを見ていると国籍はアメリカでも思わず応援したくなりますよね。オリンピックは国と国との対戦ではあるものの、一生懸命に打ち込む選手たちを見ていると国籍なんてどうでもいい、とにかくがんばれと思ってしまいます。 (Photo : Yonhap)
2018-02-15

平昌オリンピック便り

スノーボード・ハーフパイプ女子の金メダリスト クロエ・キム
スノーボード・ハーフパイプ女子、ダントツ1位で決勝進出を決めたアメリカのクロエ・キム選手。アメリカのスポーツメディアが一斉に注目しているワールドランキング1位を誇る選手です。 そのクロエ・キム選手、韓国でも熱い視線が注がれています。韓国系アメリカ人だからです。 予選に臨む前、キム選手はこう話しました。 「両親の国で初めてオリンピックに出られて、とてもうれしく思います。 ベストを尽くします」 クロエ・キム選手は、韓国人の両親のもと、アメリカ・カリフォルニアで生まれました。2000年生まれの17歳です。 キム選手がスノーボードを始めたのは4歳の時。6歳でアメリカのナショナルチャンピオンシップで3位になるなど、幼いころからスノーボードで頭角を現しました。そんなキム選手を、父親のキム・ジョンジンさんは午前4時に車に乗せ、スキー場に向かい、夜中の12時に連れて帰宅するという生活を続けました。往復10時間の運転をいとわなかったキムさんの娘へのサポートはアメリカでも大きな話題となり、キムさん親子のこうした姿を撮ったオリンピック関連の広告が、スーパーボウルの期間中に流れたといいます。 そんな父親の愛情に応えるかのように、キム選手は、予選前の記者会見でこう話しています。 「プレッシャーを感じないようにしています。プレッシャーは競技の妨げになるだけです。知らず知らずのうちにプレッシャーを感じていたとしても、「みんなが私のことを信じてくれて、私がうまくやってのけることを分かっているから、私への期待が大きいのね」と、前向きに考えることにしています」 プレッシャーをものともせずに育ったせいか、キム選手はくったくのない無邪気さをあらわにしています。 予選1回目を終えたあと、自らのSNSに「アイスクリームが食べたい」と書き込みました。そして、予選終了後のインタビューで、 「予選1回目を終えて2回目を待っているとき、アイスクリームが目に入ってきました。早く予選を終わらせて食べようと思いました」と話し、笑いを誘いました。 この数年間、毎年両親と韓国に旅行に来ていたというキム選手が好きなのは、アイスクリームとトッポッキ、そして歌手のCLだといいます。世界的な注目を浴びる選手ですが、普段はまったく普通のティーンエイジャーのキム選手、13日午前、スノーボードハーフパイプの決勝で、98.25を記録し、金メダルを獲得しました。 満点に近い点数ですが、まだ17歳。キム選手のこれからの活躍を、世界中が期待で見守っていくことでしょう。 オリンピック選手村の食堂 今回の平昌オリンピックは、スキーなどの屋外競技は山岳エリアの平昌、一部ジョンソンで、屋内種目は海岸エリアのカンヌンでおこなわれています。では平昌には体育館のような屋内競技場がないのかというと、そうではありません。竜平ドームと呼ばれる室内氷上競技場があります。オリンピックの期間中、平昌選手村の食堂として使われています。選手村の食堂は、平昌とカンヌンの2ヶ所にあり、平昌選手村の食堂は、3900人余りの選手を24時間体制で受け入れています。 食事を担当している新世界フードは、この1年余りの間、西洋料理やアジア料理をはじめ、ベジタリアンのための料理やハラルフードなど400余りのメニューを開発しました。多様なメニューが、朝、昼、晩、夜食まで一日4回提供されています。平昌選手村の食堂で使用される食材はおよそ1100種類、消費される食材は25-30トンです。また、食中毒を予防するため、ハンバーガーや家禽類はウェルダン、つまり肉の中までよく焼くのが原則で、万が一のために警察や消防隊員が常駐しています。 平昌選手村の食堂で人気のあるのは、果物と、ハンバーガーやステーキなど牛肉類で、韓国の料理では、チャプチェ、チャンチクッス、キムパプが人気メニューだそうです。チャプチェは韓国春雨の炒め料理で、キムパプは海苔巻きのことです。チャンチクッスとは熱い汁の麺料理で、チャンチは宴会やお祝い事を意味し、クッスはそうめんで、文字どおりおめでたい場でもてなされていたことからこう呼ばれています。いまでは普通に食べられていますが、英語で「フェスティバルヌードル」と訳されていることから、縁起がいいと思われているのが人気の秘訣ではないかという話もあります。 平昌選手村の食堂のもっとも大きな特徴は、ベーカリーが充実していることです。遠く離れた工場でパンを焼いて持ってくるのではなく、ベーキングセンターを独自に設け、毎日焼きたてのアツアツのパンが食べられるようになっています。そのために50人のパティシエが勤務しています。ちなみにシェフは150人。いずれも一日4交代制で勤務しています。食堂で働く人たちが一番つらいのは、家族と離れ離れになっていることですが、IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ委員長が、「食事について選手たちの苦情がないオリンピックは初めてだ」と感謝の言葉を述べるなど、やりがいを感じているということです。 (Photo : Yonhap)
2018-02-13

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ショートトラック女子3000メートルリレー 韓国が劇的に決勝進み
10日に行われたショートトラックの女子3000mリレー準決勝で、ドラマチックな場面が繰り広げられました。 合計27周する3000mリレー4周目に、チームの末っ子17歳のイ・ユビンがタッチをする前にバランスを崩して転んでしまったのです。 次の走者のキム・イエジョンはすでにスタートし、イ・ユビン選手が後ろからお尻にタッチするのを待ち構えていました。そのためその次の走者だったチェ・ミンジョンが転倒しているイ・ユビン選手のところに滑って行き、手と手でタッチし滑り出します。 この時点ですでに一緒の組にいたカナダ、ハンガリー、ロシアの選手は半周ほど先を滑っていました。 それでも必死に追いかけます。するとまさかの奇跡が起こりました。 11周目には3位で滑っていたハンガリーをまず追い抜きます。 8周目にはシム・ソッキが1位で滑っていたカナダさえ追い抜き、先頭に立ちます。 そして韓国チームはそのまま先頭でゴールし、記録も4分06秒387とオリンピック記録も塗り替えました。 試合後、カナダの選手は「転倒した時点でもう戻ってこないと思った。しかし彼女たちは凄かった」と述べ、アメリカNBCの解説委員も「どれほどの距離を離せば韓国に勝てるのだろう」と語りました。 代表チームはその間、試合の最中に発生し得るあらゆる場面に備えて練習をしてきました。選手同士の衝突、相手選手の反則、同じチームの選手が転倒した時など。そのため試合終了後、キム・イエジンは「普段から転んだ時に備えて練習をつんできました。それで自然に対処できたのです」と語っていました。 2.女子のアイスホッケー南北合同チームの初戦 今回試合の勝ち負けに関係なく、一番注目を集めているのがこの種目でしょう。 女子のアイスホッケー南北合同チームです。 10日に行われた1次リーグの初戦、江陵の会場では文在寅大統領夫妻はもちろん金正恩労働党委員長の妹の金与正党第1副部長、金永南最高人民会議常任委員長も観戦しました。 試合はソチオリンピックで銅メダルに輝いた強豪スイスでした。 結果は8対0の完敗でした。 合同チームの監督を務めるマリー監督は試合前のインタビューでは 「新たに選手が加わったり、新しいシステムを教えたりと、いろいろなことがあったが、初戦に向けて自信を持てている。チームはこれ以上にないくらいうまくまとまっていて満足している」とチームワークに自信をのぞかせていましたが、試合後のインタビューでは、「特別な日でした。最初のオリンピックの試合、それも南北合同チームでの試合、特別でした。今日は負けてしまいましたが、私たちにはまだ試合が残っています。選手たちと共に、次の試合に最善を尽くします」と話していました。 試合の結果とは別に、会場にいた観客はみんな、南北合同チームという事実だけで大きな感動を胸にしたようです (Photo:Yonhap)
2018-02-12

平昌オリンピック便り

平昌オリンピック便り   
開会式のテーマ 全世界の人々に解ってもらえる様な、平和についての話にしようと思った。 ずばり!ピース・イン・モーション(Peace In Motion) 平和と言うのは、お互いが会う(向き合う)ことによって生まれる積極的な行動です。 お互いが向き合い、心と心を開き、コミュニケーションをすることで共感し合う…そこで生まれる行動が平和を築き上げる礎になるのではないか… (開会式の演出を担当したヤン・ジョンウンさん) 開・閉会式場 諸外国での今までのオリンピックでは、開会式に主にサッカー場などが使われていましたが、今回の平昌オリンピックでは、開会式、閉会式を中心に考え貫かれたスタジアムを一から作ることができました。 したがって、今までのよくありがちな長方形の形ではなく、五角形の形にすることによって、全ての観客席で快適に公演が楽しめるようはからいました。 五角形の意味は、もちろんオリンピックを表す五輪、また五行思想(万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説)も表し、東洋哲学の意味も含まれています。 聖火台 平昌オリンピックの聖火台は、朝鮮王朝時代に作られた白磁壷、その中でも月を形どった「タル・ハンアリ」をモチーフにして作られました。 タルとは月、ハンアリは壷、甕と言う意味ですので、「月の白磁壷」をイメージして今回の聖火台が作られました。 この「月の白磁壷」は、その様式美から「世の中の全てを抱いている」と称され、世界中でその価値を高く評価されています。 (Photo:Yonhap)
2018-02-09

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